私が産婦人科の医師になったのは、医学生の時にお産に立ち会い、人間の誕生、生命の誕生がいかに素晴らしいかと感動したからでした。そして内科の医師をしていた親の反対を押しきって婦人科医になったのですが、婦人科というのは、今、他の医局よりもかなりきつい環境にあります。
それには、お産が減っているという現状もありますが、医療事故の問題、時間的余裕がないという理由もあるでしょう。そのため産婦人科医が減ってきています。
もう5〜6年前の話になりますが、大阪でお産をやめた女医さんが詩を書いていて、「もう明日からお産がないんだ」という気持ちを詩に託されていましたが、「あー、さびしいな」と思ったものです。
その仕事を通してみて、やはり子どもが生れる度に、子どもは、親の宝、家族の宝、やがては日本の将来を担う大切な財産、国益にもつながる宝物なんだな、と痛感しています。
しかし最近の傾向は少産化、飽食・ぜいたくの時代で、それに慣れてしまい、子どもができるとその分だけ楽ができないという考え方のようです。それは今のお母さん、妊婦さんもすでにそういう家庭環境で育っているためか、お産に対しても、食事制限にしても、やはりのんきで真剣みが足りない気がします。ガマンするという気持ちが少しずつなくなってきているのでしょうか。いろいろな知識はあるんですが、ガマン力が減ってきているようです。これも兄弟姉妹を通して学べる知識、育つ情報が育たないせいもあるかもしれません。
そのようなことから、産科の医師だからというのではなく、私が最近とくに気になるのが、社会の中で『子どもが宝なんだ』という意識が次第に薄らいできてしまっているのではないかということです。この現象は大きな問題を含んでいますから、お母さま方も一度考えてみてはいかがでしょうか。
先日、診療中にこんなことがありました。7年ぶりに2人目を生むお母さんが「ウチの子をお産に呼びたい。学校へ行っているけど、お産を見せたい」というのです。そのお子さんも「ウチのお母さんに子どもが生まれる」ということにすごく感動を持って、その「お産を見たい」というのです。
相談された私はびっくりして「学校へ電話をしてみてください」と言ったのですが、「子どもがお産を見たい」といい、お母さんも「子どもにお産を見せたい」と言っている。・・・・本当に感動しました。
残念なことに呼ぶには時間がなく出産が済んでしまったため、実現はできませんでしたが、1か月健診の時にはそのお子さんも来て、「自分のところに赤ちゃんができたんだ」と喜んでいました。・・・・私も面倒を見るんだという気持ちになり、そこに愛情も生まれ、育児に対する知識も当然生まれてくるでしょう。
やはり子どもにとっては、普段から生活を共にするお母さんが一番、お母さんの姿を見て育つわけです。母にとっても、子どもは宝なんですね。
私は、今は少産化傾向の日本ですが、その意識が高まった時、これだけ器用にいろいろな面で吸収力を発揮し、活躍されてきている日本の女性です。その活躍の場を社会の中、家庭の中と工夫し、若い世代の女性も十分母性を発揮してくださる将来があることを、今から確信しています。
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