産科というのはお母さんと胎児=赤ちゃんの両方が無事に分娩というところで終了してくれるのを診るのが仕事です。どちらかが欠けてもだめです。 今までは、生まれてからでないと赤ちゃんの様子がわからないということから、とかくお母さん中心になっていたんですが、ここのところの医学の進歩で、画像ではあるのですが赤ちゃんがおなかの中にいるうちから診れるようになり、病気すらわかるようになってきているんです。赤ちゃんに対する意識としても、もう目の前にいるかのように感じることができるようになってきたんです。
このことから、生命が生まれるときの私たちの倫理の問題といいましょうか。当然、胎児という存在を、お母さんたちは自分の赤ちゃんということで考えながら、妊娠とわかった時点から分娩までそれを忘れることなく感じていらっしゃると思います。
それが、限度はあるものの多少なりともその赤ちゃんの健康状態なり病気の有無がわかるようになってきた段階で、さて今のお母さん方に、胎児をどのように考えていただきたいかという話なのです。
赤ちゃんというものは、これからの新しい生命で、お母さんでもなければお父さんでもなく、明らかに別の存在なのです。その生命が卵子というひとつの細胞から、命を得、人という形にまで成長して行く間にはいろいろなことがあるはずなんですが、すばらしいことに、見事に成長して行きます。しかし、残念なことにその中で100分の1ぐらいの確率で一般にいうところの奇形というものが出てしまう。
そういうことが起きてしまうのは不幸なことで悲しいことなのですが、これもお母さんが健康、お父さんが健康だからといって必ずしも健康な赤ちゃんが生まれるとは限らない。ハンディを背負った子の母と父をみてもその8割以上が普通の健康な方です。まずそれを理解しておいてほしい。
そのうえで仮に自分の赤ちゃんに病気があったとします。あなたはその赤ちゃんをどう考えますか?
実は家族によってその受け止め方に大きなギャップがあるんです。
私たちは、赤ちゃんにもし異常があるなら的確にそれを発見して、赤ちゃんのために治せるものなら治す。もし妊娠中に治せなく出産後に治すにしても、その事実をお母さん方にはっきり伝え、そのためには妊娠中をどうベストに過ごすかを考えてあげなくてはならない。それが僕たちの仕事でもあるわけですから、最善を尽くして考えてあげるわけです。
こういう現状の中、胎児というものがお母さんのおなかの中にいるけど、それはひとつの独立した存在、人間だという意識をお母さんたちにも持っていただいて、妊娠中をより健やかに過ごしていただきたい。
そのためには、お母さま方にも
「赤ちゃんが生まれたから母親になる、というのではなく、妊娠した時から親になるんだ」
という、ひと足はやい、親としての心の準備が必要とされているのではないでしょうか。
国際胎児病学会というのがあるんですが、昨年こんな宣言がされたんです。
「将来の人類になるべき胎児は医療のの対象・患者として扱われるべきである。医師・医療に携わる人々及び社会は、患者である胎児に対して、適正な診断と治療を提供する真摯な義務を有する」−富士吉田宣言(開催地名より)。
妊娠中のお母さま方、いかがですか。親としての自覚は、より深まりませんか。
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