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05

磯和万由美

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 私は第三子(長女開花)を黄助産院で出産しました。第一子、二子に比べて、自分自身で納得できたすばらしいお産でした。すでに赤ん坊も6か月、半年前のこととなり、日々の生活におわれ、感動のあの日の記憶もうすらいでいくようですが3回目にして初めて、「ああ、いいお産だったな」と思うことができました。

 とにかく長男、次男の病院出産と助産院での出産には、ずいぶんの違いがありました。長男の時は大きな総合病院の産婦人科でしたが、陣痛室で分娩監視装置をおなかに巻かれ、ベッドにほとんど固定されたままで陣痛がおそってくるのは、まるで拷問のように感じました。この世のものとは思えない痛みがまたくる、またくるという感じは、「お産って何て恐ろしいんだろう」という思いでした。そしてあまりの痛さにうなり声をあげていると、若い助産婦さんが、「静かにしてください」と一言いって去っていくという、ひどく寂しいみじめなものでした。

 練習した呼吸法もまったくできません。それに、つきそってくれていた夫にも、つい、けんか口調となり、彼は出て行ったまま帰ってこないというありさまです。幸い分娩室に入ってからは、陣痛促進剤やその他の処置を受けることもなく、会陰は自然裂傷でしたが、30分間ぐらいの自然分娩でした。ただ夜9時頃出産してから、一度見せてもらっただけで、子どもを初めて抱いたのは翌日というのも寂しい思いでした。

 そして、第二子次男のときは、私立の個人病院でしたが、長男のときの教訓を生かし、あれこれ考えたわりには、長男のとき以上にみじめなものとなってしまいました。というのも、2人目だから早いという医師のことばで、早々に分娩室に移され(陣痛室はなかった)、こんどはまともにまっすぐ上を向いたまま分娩監視装置で固定されるという体勢になってしまったからです。それでも、いきみがくれば早いだろうと思っていたにもかかわらず、陣痛間隔がなかなか縮まらなくて、このままだと帝王切開になるかもしれませんと言われてしまいました。

 これはもう大ショックで、それからは、まだいきみがきていないのに、むりやりいきむという、ひどく疲れたお産でした。会陰も当然のように医師が切りました。それに、今度こそは夫に立ち会ってもらおうと、ぬれタオルやお茶を用意していたのですが、夫は事前のお産教育を全然受けていなかったせいか、ただ分娩監視装置のグラフを見つめているだけという、感動とは程遠いものでした。たぶんこれが最後だろうからと奮発してとった高い個室も、かえって話相手がいなくて、寂しい入院生活でした。私にとって2回のお産は、正常な自然分娩であったにもかかわらず、何かみじめで、陣痛は恐ろしいものという感じしか残りませんでした。

 そこで、3回目は、産む姿勢にこだわり、分娩台に仰向けに寝て産むのではなく、しゃがんでも、よつんばいでも、立っても、どんな姿勢で産んでもよいという、黄助産院を迷うことなく選びました。助産院で出産経験のある友人の、「良かったよー」という感想もうらやましいかぎりでした。

 杉山先生のお人柄にもとてもひかれましたし、病院にはない、家庭的で暖かいふんいきも気に入りました。そもそも3人目は、次男のアトピー、ぜんそくで疲れ果てたという経歴があり、まったく念頭になかったのですが、自然食や玄米正食にであい、症状が軽減し、私自身の体調も良くなったこともあって、これだったらもう一人と挑戦した子なのです。ですから、38才という年齢の不安もありましたので、丈夫な子どもを産むためなら、あらゆる努力を惜しむまいと思いました。

 そこで食事に注意を払うことはもとより、体重は必ず10キロ増以内におさえようと思いました。ストレッチ体操をできるだけ毎日行い、しゃがむ姿勢で新聞を読んだり、ぞうきんがけをしました。マタニティヨガにも臨月まで通いました。朝早く起きて朝食前の散歩を必ずしたり、後半は一駅程歩いて往復したりしました。イメージトレーニングもやってみました。音痴なので歌は苦手なのですが歌うように努めました。その結果、つわりで玄米がたべられなくなったり、あれも食べたい、これも食べたいと思ったようにいきませんでしたが、体重は何とか9キロ増で、前回2回と比べるとすごく身が軽く、動きが楽でむくみもでませんでした。また便秘知らずでした。おなかの子に散歩の途中話しかけていると、ふたりで出産に立ち向かうんだという、緊張感と充実感がありました。

 そして、いよいよお産の当日ですが、夜中の12時に破水し、前期破水は初めてで、しかも3回目ということもあり、陣痛間隔が10分になったところで、少し早めの夜中の3時に家族全員で助産院に到着しました。内診の結果は、朝7時ぐらいからだろうとのことでした。助産院について、2〜3時間で産みたいという私の希望はかなえられませんでしたが、だんだんと強くなる陣痛をクッションにもたれたり、歩きまわったり、腰をまわしたり、トイレに行ったりと、夜中のこともあり、誰にきがねすることなく、まったく自由に過すことができました。確かに陣痛は苦しいのですが、前回とはまったく違って、早くきておくれという感じなのです。そしてなんと私の頭の中では、

“のってけ、のってけ、波にのれのれ”

という歌(ずいぶん古い)がふと思いおこされ、それをまるで呪文のようにとなえていたのです。自分でも信じられない……。

 そして、朝の7時を迎え、このぶんだとまだまだだなあ、とすこしがっかりしながら、先生に診ていただくと、子宮口は、まだ5〜6センチということでした。しかし先生はこのまま出産の態勢に入りましょうと言われます。私は、ああこれからが本番で長いんだなあと思いながら、クッションをかかえたよつんばいの姿勢になりました。

 ところがそれから、強い陣痛が次々とおしよせ、あれよあれよという間に、子宮口は開き、本当に耐えられないと思ったのは、今から思えば、わずかの間で、2回のいきみでするすると長女が出てきました。午前8時22分でした。ひどく苦しい時は立てひざの状態になり、最終的には、クッションを高い位置でかかえたよつんばいでのお産でした。会陰もまったく切れませんでした。強い陣痛のとき、腰に暖かいシップをしてもらったのは初めての経験でしたが、とても楽でした。

 今回、夫が肩や背中に手をおいてくれたのも、無我夢中ながら、手の暖かさが伝わって、安心感が得られました。上の二人の子が出産に立ち会うこともできました。産みおとした後、すわっている足の間に、まだへその緒のつながった、ぬれて赤黒く、小さな我が子がいるのですが、一瞬ほうけたように、「女の子だー」と、ことばが出ただけで、すぐに抱き上げてやれなかったのが、心残りといえば心残りです。すぐに先生がおくるみにくるんでくださり、胸に抱くことができました。

 そして胸に抱いたまま、仰向けに寝て、夫がへその緒を切り、後産も無事に終わりました。おっぱいもすぐにふくませてみました。赤ちゃんは2,756グラムだったのですが、妊娠中、私の体型ならば、2、700グラムから2、800グラムの赤ちゃんが理想ですねといわれていたので、まさに、ぴったりの大きさでした。お産の後は、母子同室ですので、畳の部屋でずっと赤ちゃんと一緒に過すことができました。今ふりかえってみても、静かでおちついたふんいきの中で、信頼できる人達にかこまれて、お産できたんだなあと思います。

 今回のお産は、何といっても、自分からとりくんでいって、自分の力で産もうと思ったことに満足感を覚えました。そして何より、赤ちゃんとふたりで出産にのぞんだという感じがしました。けっしてパーフェクトではありませんでしたが、私なりにお産に対する決着がつけられたようで、それが冒頭のいいお産ができたなあという感想につながっているわけです。

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