今年の夏で娘は3才になりました。子どもをさずかったと知った時、何とも嬉しい気持ちになったのを思い出します。自分とは別の新しい生命が息づいているのかと思うと不思議でもあり、知らず知らずお腹の新しい命に話しかけていました。
初めての妊娠であり、足しげく本屋へ行き妊娠、出産に関する様々な本を読みあさりました。人生のうちそう何回とはないであろう出産を思うと、自分に合った自分らしい出産をしたいと強く願うようになりました。病院での一見致れりつくせりの出産は何か産ませてもらう出産でしかないように思え、もっと積極的にお産とむき合いたいと思うようになりました。助産院で自然なお産をしようと決心したのもそうした思いからでした。
まずは体を整えることからはじめました。体を動かすことをほとんどしていなかった私にとって、妊娠中の方がよく体を動かし汗をかき、体をやわらかくしたように思います。妊娠9か月に入っていた時に行った保健所の母親学級では、保健婦さんに「赤ちゃんしか入っていないお腹ね」と言われ、出産まで尿に蛋白が出ることもなく、身軽に過ごせました。
お世話になった助産婦さんは、とても気さくな人で、定期健診では1時間ぐらい時間をさいて妊娠、出産に関し話しをしてくれました。病院の待ち時間ばかり長く診察は10分といったものとはずい分と違い、様々な事を話し合うなかで、安心して介助してもらえるという信頼ができたと思います。
助産婦さんは「西式自然お産のすすめ」という本を出し、「よく読んでおいてください。素晴らしい妊娠出産について書かれてありますよ」と渡してくれました。その中に「マイナス栄養学」という初めて聞く言葉がありました。一般的な栄養学は、必要な栄養物を摂り入れる「プラス栄養学」であるのに対し、「マイナス栄養学」は、まずは体内に溜めこんだ老廃物を排泄することを重視した考え方だそうです。ツワリも宿便からきているそうで、スッキリしたお腹であることが快適な妊娠生活を送る鍵かも知れません。
私も妊娠初期に軽いツワリはありましたが、それ程苦しい思いをしなかったのは、体を動かし、便秘しないでいたからかも知れません。また、妊婦が空腹である時、胎児もよく動くそうで、よくお腹の中で運動した子どもは筋肉を使い心臓も鍛えられているので丈夫だそうです。子どもにとって健康で丈夫であることは一生の宝だと思います。もし西式の母親の過し方いかんで多少ともそれが左右されるのであれば、適度な空腹感、運動は胎児にとって嬉しい努力に思えます。
胎児は親の心に素直にそおうとするものだと聞き、また生まれて欲しい日を伝えると、その日に生まれて来たという体験談を読み、私も大安で翌週から1週間主人の夏休みになる、7月23日にハートマークをし、主人とともに「この日に生まれてきてね」と毎日お腹に向かって言っていました。周りの人には、「そんなに親の思う通りにはならないわよ」と笑われてしまいましたが、そのハートマークの日の午前2時に軽い陣痛が始まりました。
胎教については半信半疑でしたが、胎児は、母親の心、周りの環境を敏感に感じとっていることを確信しました。胎児にとって子宮が全世界であり、敏感にその中で感じとっていることを思うと、妊娠中は心穏やかに日々過すことが、何よりもまず心がけなければならない事なのではないでしょうか。といっても、私の妊娠中の毎日が、バラ色だったという訳ではありません。しかし、妊娠している喜びと生まれて来る日を待ち遠しく楽しみにしていたことを思いだします。
助産院での出産は、陣痛促進剤などの薬物投与は一切されないため、初産の私は、出産に時間がかかりますよと言われていました。とにかく出産は体力がいるので、イキミは最後の最後までがまんして、陣痛を呼吸でのがすように、余計な力を使わないようにということでした。午前2時からの陣痛を椅子に座って枕を抱えて呼吸でのがし、朝6時になったので主人に起きてもらい、背中をさすってもらいながら、陣痛が10分おきになるのを待ちました。8時過ぎ助産婦さんに陣痛が10分おきになったのを知らせる電話をし、助産院に主人の車で向いました。
出産の体位は、助産婦さんと相談し横ずわり型でと決めていましたが、最後イキミの段階でどうしても力がはいらず坐産に近いよつんばいの形で出産しました。自由に体位を変えさせてくれる柔軟な対応に、産む側にたったお産を支えてくれる助産院に出会え良かったと思います。
午後8時57分、頭が出たあとはスルリと産まれてくれました。黄疸を防ぐため出産後すぐにへその緒を切らないのが西式の考え方です。2度大きなうぶ声をあげた後、へその緒をつけたまま、生まれたばかりの娘を1時間近く抱いていました。産まれて数分しかたっていないのに娘はオッパイを探すしぐさをし、乳房をふくませると一生懸命すい始め、抱きながらこんなにも愛しい存在に出会えたことが本当に嬉しく感激でした。夫は私の顔をのぞきこんで「ありがとう」と声をかけてくれました。
後になって夫は、産湯に入る前の娘を見て、「美人だなあ」と思ったそうです。この時から夫の徹底した親バカが始ったわけです。産湯に入れられ、娘は私の隣りの小さなベッドにうつぶせに寝かされました。寝かされてすぐに娘は自分で顔のむきを変えてしまいました。それにはそばにいた母や主人を驚かせました。うつぶせ寝には賛否両論、様々な意見があるようですが、赤ちゃんにとっては安定するポーズのようで、首の坐りや腕の力も早くつくようです。あおむけ寝も赤ちゃんと目線を合わせて話しかけやすいのでうまく組み合わせて寝かせるのが良いように思います。
半年を過ぎた頃から娘を連れて、子連れのヨガクラスに通い始めました。食べ物の与え方について一般の育児書には書かれていない多くのことを教えられました。まだやわらかいウエハースしか与えていなかった頃、噛みくだけない様な固いビスケットを持たせてくれました。今幼稚園の給食で芋やニンジンの煮物が食べられない園児がいるとのことです。口の中で食べ物をころがし、奥歯でくだくことが出来ないそうです。
そうした子ども達の多くが、乳児期の離乳食は、噛むことのないやわらかい物ばかり与えられていたそうです。手に食べ物を持ち、たとえ噛みくだけなくても口の中で食べ物を遊ばせることを学ぶことは、物を持てるようになった頃から教えてあげたい大切な事だと思います。お蔭様で娘は、食べ物に大変関心を持ち、好き嫌いなくゴボウなどの固い物もよく食べます。
3才になるとかなり個性がはっきりと現れてくるようです。先日行った3才児検診でも大きい子、小さい子、静かな子、エネルギーのあり余っている子様々です。どうしても大人の価値判断で良し悪しを見てしまいがちですが、親だからこそ我が子全てを受け入れてやりたいと思います。
歯の検診の際、娘は「絶対にイヤ。お母さんが行けばいいでしょう」とあくまで抵抗する態度。なんとガンコなんだとマイナス面で判断するのも簡単なことですが、見方を変えて自己主張がはっきりしていると思えば、その場限りで叱りつけるのではなく、成長を待とうという気持ちにもさせてくれます。「育児とは育自です」という言葉を、新ためて実感する日々です。
先日近所の八百屋のおじさんに「この子は人に好かれる顔だね」と言ってもらいました。*決して愛想が良い方
ではない娘ですが、人からそう言ってもらえる質を何かしら持っているとしたら、親としてそうした質をつみとることなく伸ばしていってやりたいと思います。 一見強そうに見えても強い風が吹くとポキッと折れてしまうような心ではなく、柳のようにどんな風にもしなやかに対応できる心を子どもに培ってほしいと心より願い、育児、育自に励む毎日です。