結婚して約半年、年末になれば残業も多くなるしと、共働きをしていた会社をやめたばかりの頃、第一子を妊娠し、つわりの生活がはじまりました。共働きをしていた時は家にいられたら楽だろうと思っていましだが、どうしてどうして、一日中話す相手もなく、つわりの気持ち悪さと初めての妊娠ということでわからないことばかり、おまけに好きな水泳やテニスもできずストレスがたまる日が続きました。4、5か月になり、つわりもおさまってくると、少しでも外にでて友達をつくろうと市役所の母親学級や病院の前期、後期の母親学級、マタニティスイミングなどに通い、また、はじめての妊娠出産だし、やはり夫にもそばについていてほしいと夫立ち会いクラスにも通いました。
そんな頃「逆子ですねえ」と病院の健診で言われましたが、逆子はなおることもあるし、*母も娘3人を逆子の
自然分娩で産んでいるし、こんなに色々しているのだからきっと安産でカワイイ赤ちゃんに対面できるだろうと軽く思っていました。
そして37週レントゲンを撮り「逆子だし、どうみても骨盤の方が狭いし帝王切開になるかもしれないね」と、初めて私は帝王切開ということばを聞かされました。
でも私はその時は「先生逆子でも陣痛がきて頭位に戻ることもあるし、自然に産めるのでは?」などと、心の中できっとあんがい安産で産めるのではなどと思ったものでした。
38週目の健診「子宮口はまだぜんぜん開いていないけれど、逆子だと破水すると危ないから、とりあえず明日入院して」と言われ、こんなに元気なのに、それに明日はマタニティスイミングにもいきたいのになぁと思いながら、入院の準備や家のかたづけなどをあわただしくすませ入院、その時夫とふたり産院のロビーで担当医の先生に会い「骨盤も狭いし、逆子で頭の方が大きいし、無理をするとお腹の中で首をつって死んでしまうから、帝王切開にしましょう」と言われました。また「君は逆子だから帝王切開と思っているようだが、背も低いし、現在身長150センチ以下で自然分娩で何かあった場合、法廷で医師は敗けてしまうし、君の場合は第二子も帝王切開だね。今は無理して、苦しんで自然分娩で産むような時代じゃない、それより何より産れてくる子どもが一番大切なんだ」と言われ、まったく考えもしなかった「背が低いから、これから先逆子でなくても帝王切開だ」と言う言葉に涙があふれてとまりませんでした。
その時6月1日に手術ということが決まりました。もしかしてもっと前に陣痛がくれば自然分娩で産めるかなあなんてまだその時は考えていました。その晩は興奮気味で、また、入院準備等で動きまわっていたせいで腰や足のつけ根が異様に痛く思われなかなか眠れず、あまりの痛さにちょっと変かなと思いはじめ、巡回の看護婦さんに訴えたところ「陣痛室にいって様子をみましょう」と言われ測定装置をつけられたところ、あっという間に5分間隔の陣痛におそわれ、トイレで出血、もうこのまま産まれてしまうのだろうか、はやく手術でも何でもしてこの痛みから解放してほしいと思いました。それに夫が立ち会いだったはずなのにどうしてこんなところでひとりで苦しんでいるんだろうなどと思っている私の救いは、やさしくそばにいてくれる助産婦さんだけでした。
その助産婦さんが私の思いとは違い「先生の指示で点滴でかわいそうだけど手術まで陣痛をとめましょうね」と点滴をうち陣痛は次第に遠ざかっていきました。陣痛促進剤とは聞いたことがありましたが陣痛をとめる薬があるとは思ってもみませんでした。結局その夜は眠ることもできず陣痛室で一晩すごし、また点滴といっしょに病室へ戻りました。
それから3日間点滴とともに過し、手術の前の夜ぐらいからまた微弱な陣痛におそわれ、眠れぬ夜を明かし、明け方、夜勤の先生が子宮口が3センチ、手術の時間を朝一番に早めましょうと言われ、ベッドの上で下剤を飲みトイレにも立てず、ベッドの上でといわれ、やっと朝がくるのを待ち、点滴をはずし、手術室へ運ばれるまでの急激な痛み、腰に注射をうち手術台に乗った時「足の小指が出ているね、ちょうどよいところだった」などと言われながら手術をしてみて、はじめてメスの感覚があり、子どもをとりだす感覚があるのがわかりました。
「先生痛いんですけど」「もうちょっと待ってね、子どものうぶ声が聞きたいでしょ」「はい」こんな会話のあとしばらくして「エッエッエーン」弱いうぶ声とともに第一子が誕生。「赤ちゃんは」「女の子です」助産婦さんに抱かれている長女は小さいけれどしっかりと目を開き、ママの私ををじっと見ていました。2,328グラムの赤ちゃんでした。全身麻酔から目がさめた時はもう夕方、酸素マスクに動けない身体で、面会に来てくれた主人に「もう出産は二度としたくない」と言ったものでした。
次の日には歩いてごはんをもりもり食べている自然分娩の人に比べ、3日くらい何も食べられず流動食、おトイレにいけるようになった時は、長い導尿で最初の尿の時の痛かったこと。家に帰ってからも新米ママの不慣れなせいか、お乳の出が悪かったせいか、長女友香理の気質のせいか泣いてばかりの3か月、もうこんなことはこりごりと思いながらも何とか1年が過ぎ、カワイイさかりの長女を見てやっぱりひとりっ子はかわいそうだし、出産が大変なのは一時のことだし、そろそろもうひとりと思った頃、ふたり目の妊娠を自宅用判定薬によって確認。
長女の時はエコーになかなか映らなかったし、少ししてから病院に行こうと思ったのですが、少量の出血があったため心配だったので、またはやめに病院に行こうと思い、帝王切開になるなら同じ先生の方が良いと思ったのですが、前回の担当の先生の曜日が祭日だったためと、違う先生なら帝王切開にならなくてもすむかもと、評判のよい別の先生の担当の日に通院「確かに妊娠していますし、この程度の出血なら関係ないけれど、まだ姿は見えないので2週間後にいらっしゃい」とのことでした。
その2月後、子どもを遊びに連れていこうとトイレに入ったところ多量の出血に気づき、子どもを預け、また病院へ。「流産かもしれない」そんな心配をよそに大きな病院の待ち時間はみょうに長く感じられました。やっと順番がまわってきて診察「けっこう出血したね、入院できますか」の問いに、まだ1才3か月の上の子のことが気掛かりで、母親が家にいないより寝ていてもそばにいた方がと思い入院を拒否、1週間後また病院へ。
「まだ姿が見えないね。妊娠はしているけれどこのまま自然におりてしまうかもしれないね。また2日後にいらっしゃい」こんなに大変な思いをしているのに流産なんて、と思いながら不安な日をおくり通院、エコーをとり「姿が見えた、大丈夫だよ。母子手帳をもらってもいいよ」と言われた時はとてもうれしかった。今回は出血もしたし、スイミングもだめそうだから、マタニティスクールで一緒だった人が通っていたマタニティヨガでもしようかなあと思い夫に相談したところ、別に帝王切開になるんだし、そんなことしなくてもいいんじゃないのなどと気のない返事。それでも何かやりたいと1才の娘を連れてのヨガ通いがはじまりました。
ヨガの先生の話では「うちに通っている人は帝王切開になる人はまずいない」とおっしゃっていましたが、骨盤が狭くて、次も無理だろうと言われていた私は、死産や脳性マヒなどになるよりは帝王切開でも子どもが産める方がと自分に言いきかせていました。ある健診の時、担当医の先生に「まあ土屋さんの場合、前回と同じようになると思いますよ」と言われ、心の中に自然分娩で産みたいという気持ちが、強くよみがえってきました。
次の健診の時「先生できれば自然分娩で産みたいのですが」と言うと、医師はちょっと困った顔で「何が何んでも自然分娩なんて考えない方がよいですよ」「37週にレントゲンを撮ってみましょう」と言われました。母のおばが大昔妊娠し、出産の時、育ちすぎたという理由で骨盤から赤ちゃんが出ず、お腹の中で元気な赤ちゃんの頭をつぶしたという話が頭にうかび、帝王切開でもなんでも元気に生れてくれれば、と思うことにしました。そうこうするうち37週、レントゲンを撮る日が来ました。レントゲンはいやなものです。写真をもって内診のあと先生の話。
写真を見た先生はいともかんたんに「大丈夫だね通るよ。子宮口3センチも開いているから今晩陣痛がきてもおかしくないよ」と言われました。いつ陣痛がきてもおかしくないと言う言葉に緊張して、その後毎晩シャンプーをして寝て6日目の晩の1時頃、陣痛かなと目が覚めました。しかしこのところ毎日そう思っていたので、家の用事をしながらようすをみてみようと思い、2時頃あまりひどくなってからではと主人を起こし、娘の朝食のおにぎりを作りはじめたら、その時にはだんだん余裕うがなくなってきました。前回帝王切開だし、何かあってはと3時頃入院、もう5分間隔。なくなっていた尿意を感じトイレに行ったが尿は出ずに出血。
陣痛室に入り助産婦さんに夜が明ける前には産れるでしょうと言われ、ベッドの上で脚を広げてヨガで習った呼吸でうまくリラックスできました。前回は2日間もひとりでこの部屋で陣痛にたえたのに、今回はまわりに夫や母がいてくれるなあなどと考え、分娩室に入り、「さあいきんで」といわれ最初のいきみで破裂するようにパーンという音とともに破水、それから何回かうまくいきんで元気なうぶ声とともに男の子が産れました。
第二子の出産は「自然分娩て、こんなに簡単に産れてしまうものなのかなあ」でした。立ち会ってくれた助産婦さん達から「いきみもじょうずだったし、脚もこんなによく開く人はいないわねえ、何かやっていたの」と聞かれました。また、体が小さいのにこんなに安産だったのは、脚が開くからだとも言われました。しかし、会陰の縫合をしてもらって、ひとりで分娩室で寝ていると急に寒気がして体がぶるぶるふるえ出しました。こんなふるえがきたのは初めてで、看護婦さんにきてもらうと、熱が急にあがって血圧も高くなっていました。これは出産のあとの体の変化の対応ができないためということでした。
簡単に産れてしまったようだけれど、やっぱり出産は大変。けどその晩一晩寝て、翌朝には体はずい分回復し、前回と比べやはり自然分娩は体の回復がぜんぜん違うように思われました。また、入院が夜中、長女の友香理とは4日くらい会わないでいたのですが、食べ物を口から出してしまい、下痢もしているとのことで、パパに連れてこられた時は無表情でいつもとは別人のように元気がなかったのです。
はじめての子友香理の出産・入院の時は、まわりの人が上の子が心配でという言葉がよくわからなかったのですが、この時はかわいそうでかわいそうで、その夜家に電話して、はじめて「ママ」と大きな声で泣きさけばれた時、1週間の入院がとても長く感じられ、つらくて私も夜の間ずっと泣いてしまいました。家に帰ってもおっぱいなどをあげる時はショックだったようで、わざと本を読んでなどと言ってみたり、赤ちゃんが泣くと自分もママをとられないように泣いてみたりしていたのですが、4か月たった今ではずい分お姉ちゃんらしくなってきて、やっとひと安心、しかしまだまだ子育て奮闘中の我が家であります。