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星野里香

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 今年で我が子は2才になりました。すくすくと成長した娘は、もう一人前に大人と口論しようとする生意気盛りです。あの妊娠がわかったときから、もうずいぶん時が経ったのだなあと思いながら、この機会に初心を振り返らせていただこうと思います。

 3年前の秋が深まろうとしていた頃、私は妊娠に気づきました。子どもがたいへん好きで、たいへん欲しかったので、心から喜びでいっぱいだった日々を思い出します。

 しかしそれと共につわりの苦しさも、乗り越えなければならないハードルでした。初めてのできごとでありましたので、私にはとてもつらい毎日でした。そのため、こたつの中にもぐりっ放しであったり、一日中、空腹感をなくすために菓子を食べ続けたり、消極的な日々を送りました。つわりが終わり、妊娠5か月を過ぎた頃、今までの消極的な生活を改善したいと思い、何かマタニティスポーツのようなものをやりたくなりました。

 育児雑誌等を調べて、体にやさしい自然体でできるヨガを最終的に選ぶことにしました。しかし、ヨガなど習ったことのない私には、よいマタニティ・ヨガの教室を知りませんし、行っている教室がとても少ないのです。私はいちかばちか、妊婦のための雑誌を出している編集室にお電話しました。すると、ていねいに教えていただけたのです。

 壱伊先生の教室は大変ユニークでした。教室初日はずいぶんの激しさにびっくりしてしまいました。心の中で思っていたヨガのイメージはとてもゆっくりとしたものでしたが、先生の教室では体操のような激しさで、ついていけなくて思わず笑いが出てしまうほどです。そこで、今まで体を大事にするということは、消極的になる、あまり動かないことというように勘違いしていたことを痛感しました。

 話しそびれてしまいましたが、私がヨガをと考えたのは、腰幅があまりなく、ズンドウ体型の私が、自然分娩で、無事に子どもが産めるかということや、妊娠5か月の定期健診のとき、胎盤が下の方についているという前置胎盤を思わせるようなことを言われたりしたからです。後から書籍等で調べた結果、妊娠中期に胎盤が下の方についていても、後期に前置胎盤(胎盤が子宮の下部にでき、子宮口の一部または全部がおおわれた状態。妊娠中しばしば出血し、母子ともに危険な状態になることもある)になる心配は少ないということだったのです。

 もっと医者がそのことについて説明してくれたら、いくらかでも私の不安は少なくなったと思い、大学病院の若い医者に不満を感じました。

 しかし、今考えると、そうした不安が、マタニティ・ヨガをやるきっかけとなり、気持ちを積極的な方向へと転換できるようになり良かったと思います。ヨガの教室に休む事なく週1回通い、毎日の食事をくまなくメモしたものを先生にチェックしてもらい、体もよく動くようになってくると、張り合いもでて、生活も活動的になって楽しくなっていきました。出産に向かってがんばっている自分自身を自覚できるようになると、力が湧いてくるのです。

 しかし、そんな中でも不安の材料はありました。それは健診ごとにいろいろな先生に言われる言葉です。私の行っていた病院は大学病院で、先生は次々と変わりますし、診察は5分診察という感じです。先生が言われる言葉は、選んで言って欲しいなと、深く思いました。私にとって一番つらかった言葉が、出産直前に、赤ちゃんが大きく「このままでは出産時に、4,000グラム台の巨大児になる可能性があり、帝王切開になるかもしれない」というものです。それまで、ヨガを始めたことから積極思考になり、何事も問題がなく自然分娩へと向かおうと思っていた私には、大変なショックでした。子どもに栄養がいかないように食事制限をしたり、子どもを大きくしないうちに産んでしまおうと、過度の運動をしたり、思いつくことはなんでもやってみました。

 その後臨月になって「赤ちゃんが骨盤の中におさまって、下りてきています。すぐにでも産まれそうなので入院の用意をしておいてください。ここまでくれば自然分娩で産めるでしょう」と言われました。一安心しましたが、それから生まれるまで1か月ほどかかったので難産になることを心配して、食事制限や運動は続けました。

そしてついに、その日が来ました。予定日の3日前、主人が夜遅くなるというので、出産前に窓拭きや、網戸の掃除をしてしまおうと思い、高い所に登ったり、少々無理をしてしまったからでしょうか、夜中寝ている間に体の中で糸が切れるような音がして破水しました。疲れている主人を起こして、2時頃医者へ連れていってもらいました。まだ陣痛のようなものが感じられず、早くても朝、遅ければ次の日中に産まれると言われたので、とりあえず主人には、家に帰って一休みしてもらいました。特に心細いなどという感情はなく、必要以上にいてもらっても、気を遣うだけだと思ったからです。

 看護婦さんには「今のうちに眠っておいた方がいいですよ」と言われ試みましたが、これからおこることを考えると、不安やら、期待やらで眠ることができません。眠くなったのは、陣痛らしきものがやってきた頃でした。明け方それは訪れました。初めは微弱陣痛で、陣痛と陣痛の間は眠っていました。

 それまでの不安からのストレスでしょうか、何でこんなときに眠くなるのかと思いました。だんだんと陣痛が強くなり、陣痛の間隔が短くなってくると、眠さとの闘いで二重に苦しいような気がしました。そうしている間に「バーン」とお腹の中で風船が割れるような音がして、看護婦さんを呼びました。「これは本格的な破水かな」と言われ、少し恐くなりました。

 夜中のことで看護婦さんも忙しく、あまりついていてもらえなかったのが心細く、初めは、音楽をヘッドホンステレオで聞いていて気をまぎらわせていたのですが、それも雑音に聞こえて止めてしまいました。陣痛がおこると、陣痛を計るための装置が、どのくらいの波がきたかを記録します。看護婦さんに「この波が高ければ高いほど強い陣痛になったことになるので、分娩が近くなるということですよ」と言われて、「こんなに苦しいのにこの程度の波なんて……いっそのこと自分で(鉛筆ででも)大きな波に書きたしたいぐらいだ」などと、バカなことを考えたりしました。

 しかし、そんな時間は長くありませんでした。朝方、いよいよ分娩室に移りました。睡魔はまだ消えていませんでした。どうしようもないので看護婦さんに冷たい水とタオルをいただいて、必死で起きようとしました。看護婦さんが呼吸法を口で言ってくれていました。「ヒッヒッフーッ、ヒッヒッフーッ」私もつられて言いました。

 すると、とてもやりづらいことに気づきました。それは、ヨガでやっていた呼吸法と違い、言葉を出すという感じでとても疲れてしまうものだったのです。「しまった」と思いましたが、眠気のこともあって私は看護婦さんの呼吸法に合わせて行うことにしました。

 「いきんで」と言われて、ヨガでやった通りのいきみをしたら、先生や看護婦さんに「とてもうまい」とほめられました。それをいいことにして、また眠気がきたときいいかげんないきみをしたら、先生に怒られました。「お母さんがしっかりしなければ赤ちゃんが苦しくなるのですよ」。私はその言葉で、すっかり目がさめました。そして、その後は問題なく子どもを産むことができたのです。テレビで見て聞いたような激しく泣きながら産まれたという感じではなく、「フギャッ」と一声だけで産まれたという感じでした。

 産まれたばかりの赤ちゃんを抱かせていただいたときは全然実感が湧かなかったのに、その後、病院内で、授乳する度に、かわいさがつのってきました。申し遅れましたが女の赤ちゃんでした。とてもおとなしい娘でした。私自身の体も安産でしたので回復も早く、精神的にも安定した育児ができました。

 今思うと、お産は、それほどおそれるようなものではなく、子を思う親心さえあれば、あとは自然という大きな力に助けてもらえるものだと思います。いつも前向きに、子どもを元気に産みたいと思っていれば、体も動くようになってきます。不安はあっても、あまりストレスをもたず、産まれてくる我が子を信じて精一杯努力すれば、きっとすばらしい結果がでるのだと思います。今私がすばらしい贈りものをいただいたように。その後、育児においても試行錯誤を繰り返し、苦戦しておりますが、これから先も初心を忘れず、我が子と共に、頑張っていきたいと思います。来年の2月には、私は二児の母になります。頑張らなくては、と思うと力が湧いてきます。

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