ホームはじめての妊娠産婦人科のこと赤ちゃんのこと先輩ママのお話は…妊婦と美容/●サイトマップ

●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
●●
●●●
●●
●●
●●
●●
●●









18

伊与田曜子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


  私と壱伊先生との出会いは、一冊の本でした。第一子妊娠時、私はまだ仕事をしていました。ひどいつわり、太り過ぎなど、妊娠中に避けたいことがまず頭に浮かびその一冊を手にしました。その当時、軽いムチ打ちの後遺症もあったので、何か妊婦でもできる運動はないかしらと探してもいました。ヨガには以前から興味を持っていたのですが、その一冊の本のヨガ指導に、偶然にも義母の先生でもあった壱伊先生のページがあったのです。目に見えない、何か運命的なものにでも導かれるような気持ちで、私は見学するまでもなく、妊娠4か月になると同時に教室へ通い始めました。

 想像以上に激しいポーズに驚きはしましたが、どんな質問に対しても適切な答えをしてくださる先生の、自信に満ちた態度に信頼感を持ちました。妊娠前からの体の歪みや、首のレッスンが楽しみでしたし、翌日の筋肉痛も心地よく感じました。宿題のポーズも、夜ぐっすり眠れるので毎日欠かしませんでした。ただ、食事では少々辛い面もありました。当時、私は主人の仕事を手伝っていましたので、朝食は自宅でしたが、昼食はお弁当、夕食は半分くらい外食というパターンでした。

 朝は麦飯にして、昼は野菜中心のお弁当を作り、夜もなるべく外で食べないというパターンに切り換えるのは容易なことではありませんでした。主人にも協力してもらい、先生のアドバイスをいただきながら少しずつ理想の食事に近づけていきました。初めのうちは、それまでの食事が恋しかったのですが、不思議な程、その感覚が消えて、それまで休んでいた味覚が急に活発になったように、ゴマの香ばしさや、栗入りのご飯や、青いもの等がおいしく感じられるようになってきたのです。とはいうものの食べてはいけない物への未練はありました。でも約半年間それらを我慢するだけで、安産で、しかも元気な子どもが産まれるというのですから、努力しない訳にはいきませんでした。

 教室に通っていて何よりよかったのは、マタニティ期間中不安がなかったことです。多数のマタニティ雑誌が出版されている今日、ついページをめくると不安な記事ばかりが頭に残ってしまい、夜も眠れなくなることもありがちですが、教室では自分よりもっとお腹の大きな妊婦さん達が、元気いっぱいでポーズをしているのです。

 ちなみにここでは、出産が近い妊婦さんの方がより激しいポーズができるのです。高齢出産の方や、第一子は帝王切開で苦労した方などが、皆さん安産で元気な赤ちゃんでしたというニュースが、次々と耳に入るのですから「私も必ず安産で健康な赤ちゃんを産むんだわ」と強く確信できるのでした。私より2週間前に出産した方は、有名なピアニストでいつも重たい楽譜を何冊も持っていらして「今日もこれから音合わせに行くのよ」とお別れして2日後くらいに、立派な安産で元気な赤ちゃんを産まれたというニュースを聞いた時は「次はいよいよ私の番だわ」と緊張してきたのを覚えています。

 第一子の出産予定日は1月19日でした。何のトラブルもなくきたのですが、32週頃に逆子になってしまいました。先生にいくつかのポーズを教えていただいたのですが、なかなか元に戻りません。「逆さになるのには赤ちゃんにもそれなりの訳があるのよ。その状態の方がよいのならそのままでも、充分安産が期待できますから、安心していいですよ」との先生の言葉で私の不安もおさまり、「あなたがその形の方が心地よいのならそのままでもよいのよ」とお腹に向かってつぶやきました。それ以外特に問題もなく、9か月位まで、主人と共に通勤していた程、元気な妊婦でした。

 予定日を4日過ぎた23日、おしるしがあり、夜11時すぎに入院しました。陣痛は10分間隔でしたし、初産だったので、助産婦さんに「どんなに早くても明朝、多分昼ごろではないでしょうか」と言われ、付き添うつもりの母は返され、主人だけが残りました。主人は徹夜覚悟でいたらしいのですが、私は壱伊先生が言われるとおりに、3時間くらいですむと思っていました。案の定一時間もしないうちに、子宮口は全開になり分娩台に上ることになりました。

 何回いきんだかは覚えていませんが、教室で練習したようにはうまくいかないなと思ったのは覚えています。「もう頭が見えてきましたよ。後はあなたの力でがんばってください」と言われた時『いいえ、私の力ではなく赤ちゃんが自分自身の力で出てこようとしているのです。私はそれを助けるだけなんです。赤ちゃん、もう少しよ。がんばって』と心の中で叫びました。

 最後まで会陰切開しないでくださいとお願いしていたのですが、「赤ちゃんの頭が大きいので少しだけ切りますよ」という先生の声に返事をした瞬間、するっと赤ちゃんが出てきて、それはそれは大きな産声を聞かせてくれました。「これは大きい女の子ですよ」とまだへその緒がついている赤ちゃんを見せてもらった時、「はじめまして、私がお母さんです。よろしくね。仲よくやっていきましょうね」と挨拶しました。

 「もう終わってしまったわ。本当に先生のおっしゃるとおり分娩台30分ですんでしまったわ」という気持ちでした。何十時間も陣痛で苦しんだ人や、帝王切開した人に比べたらあっという間の出来事のように思います。「あなたのお産は超特急で驚きましたがとても立派でしたね。こんなに安産なら、2人目も続けて産んでしまったらどうかしら」と助産婦さんにもほめられました。私としては、練習したとおりにできなかったのが少々不満で、この次はもっと完璧なお産を目指そうと考えていました。お産が楽だったので、それだけ気持ちに余裕があったのですね。

 3,500グラム、53センチで生まれた長女は、皆さんに肌がきれいだとほめられました。妊娠中、食べ物に気をつけたせいだと思います。もうすぐ5才になりますが、アトピーもなくたまに風邪をひく程度で大きな病気もなく育っています。

 2人目の妊娠中は、長女が2才だったので教室に通うのが大変でなかなか毎週通えませんでした。でも食生活の方はふだんから自然とそれに近い物を食べていたので、それほど苦労はしませんでした。が、2か月程長女がとても神経質になり、夜泣きをするので大変困ったことがありました。

 次女のお産の時は、間近になるにつれて、長女が離れなくなり、どの時期に実家に預けるかが問題でした。陣痛とはいえない程の痛みが6分間隔を切ったので歩いて病院に行きました。長女は無事に預けることができました。「こんなに軽い痛みで入院してよいのでしょうか」と言いながら内診を受けると、「大丈夫。確かに陣痛が始まっています。入院してください」と言われ、陣痛室に入りました。少し仮眠をとってから本格的な陣痛がやってきて、今回も30〜40分で産まれました。私が言ったとおり陣痛がきてからは早かったので、先生もとても驚いていました。もちろん次女も3,644グラムの元気で肌のきれいな赤ちゃんでした。

 お産直後、長女が私の病室に来てくれた時は、ほんの数時間しか離れていないはずなのに、やっと会えたような気持ちになり涙が出てしまいました。こんなに大事に思える宝物をまた一つ授かったのですから、私たちはなんと幸福なのでしょう。体のことも忘れて赤ちゃんを連れてすぐに家に帰りたくなってしまいました。

 妊娠、出産というと、知人の中には、とても苦労したり、悲しい思いをしている人も少なくないようです。「安産で生まれた子どもは、初めに母親によい思い出を作ってくれたのだから、難産で生まれた子どもよりも幸せな気分で楽しく育児ができるのです」と先生がおっしゃっていましたが、まさにそのとおりです。ふたりの娘が先天的にどんなものを持って生まれてきたかは、両親である私達に少なからず責任のあるところですが、とりあえず健康という何事にも代え難い財産をプレゼントできただけでも幸せです。

 でも出産よりも育児の方が何倍も大変なことだと思います。私達は、子どもを所有物と考えずに神様からの預かり物だと思うことにしています。

 出産が楽で余ったエネルギーをつぎ込むような気持ちで子どもを育てていこうと思っています。そして、自分の感情に任せて叱るのは避けて、なるべくほめてあげるようにし、やさしい子どもに育つよう見守っていこうと考えています。

◆indexへ

UP

Topページからご覧下さい

Copyright2003 Cion corporation AllRight Reserved