ドラマチックな出産だったと思います。
出産予定日は2月19日でした。しかしその日は何事もなく過ぎていきました。その2日後、夫の誕生日でバースディケーキを作り、いつものとうりマタニティヨガに行きました。子宮口は2センチほど開いていたようですが、陣痛の気配もなくまったく普通の感覚でした。
「ヨガから帰って助産婦さんのところに行けばいい」
そう思っていました。初めての経験ですが、それで大丈夫だという自信があったのです。
ヨガスタジオについて準備体操をしだしたらなんと「おしるし」がありました。午前11時。私の自信と計算はここから大幅に狂っていきます。
慌てて帰り支度をして電車に飛び乗りました。電車に乗ってどのくらいの時間がたったのでしょうか。電車内ではきてほしくないなと思っていた陣痛がきたのです。ジャスト12時、正午に初めての陣痛です。この時は本当に焦りました。しかも誰も席を代わってくれる人がいないのです。次の陣痛が来るまでに10分の間隔もありませんでした。陣痛が来る度にしゃがみこみ、必死にヨガの呼吸を繰り返しました。やっと中野到着。
自宅のある中野駅には夫が迎えに来ていてくれました。しかし、私たちの家は中野から歩いて7〜8分のところにあります。タクシーをつかまえることもできませんでした。しかたなくこれもちゃんと歩きました。おまけに雨まで降ってきて……。泣きたい感じでしたが、何とか無事に家にたどり着きました。家に着いて第一関門を突破した思いで緊張が解けたのだと思います、嘔吐が突然おそってきました。
助産婦さんのところについたのが午後の2時、子どもの誕生は午後5時11分、3,322グラムの男の子でした。
出産ははじめは水中出産を希望していました。夫の姉(イギリス人)が経験して「とても良かった」というのがきっかけです。
ところで、分娩も波乱含みだったなと思います。陣痛が5分間隔になったので助産院にいったのですが、その後陣痛がうそのようになくなってみたり、甘みのある飲み物でよみがえったり、あれやこれやで水中出産ではなく、低いベッドのような分娩台でひざ立ちで出産になりました。
分娩台に乗りかかった時に子どもの頭が出てきて会陰が少し切れたりはしましたが、夫は非常に上手に立ち会いをしてくれましたし、「自然」な分娩でしたから「これでいいかな」と思っています。
ところで、私が出産の場所として助産院を選んだ理由を少しお話しましょう。
夫と結婚したのは、妊娠がわかる1か月前。その前に長い同棲生活があるのですが「そろそろ子どもが欲しいね」と籍を入れました。
千葉県の木更津市にある暁星国際高校の英語教師としてイギリスから赴任してきた夫と知り合い、一緒に住み始め、彼の任期が終了して、語学講師として他の学校に移ったことから、東京に引っ越して住み始めたとたんのことでした。
生理がないのに気づいて、まず市販の妊娠検査薬で試してみました。明らかな陽性反応は出ましたが、どこといって知っている産婦人科はなく、その時から分娩をする病院選びに時間を費やすことになりました。
「夫の立ち会いができる」「分娩後は母子同室」「妊娠中に薬が出ないこと」「できれば水中出産」
この4つを条件に病院をさがしました。夫からは自宅出産はどうだろうかという提案もありましたが、これは私自身が納得できないので、水中出産を主張して決めました。
さがし始めて、なかなか条件に合う病医院がないことに初めて気づきました。そこで、とりあえずというと先方の病院に悪いのですが、健診はとある医院で受けておき、条件に合う病医院をさがし続けました。
ついにさがし当てたのが杉並の黄(ファン)助産院でした。
条件にかなったのも喜びでしたが、それ以上にあの診察台がなかったのが嬉しかった。条件よりも、これが決定的でした。どうしてもなじめないでいたものです。
妊娠して5か月になるまでは仕事をしていました。その間多少のつわりを経験しました。*まずたばこの煙がま
ったくだめになったこと。それと、夫はベジタリアンで、料理にふんだんにチーズを使うのです。このチーズの匂いもだめでした。
3〜4か月のことですが、この時期私は外食で和食を、夫は自分で料理をするという生活が続きました。ひとりで食べる外食というのはつまらないものですね。
つわりがおさまってからも、夫は野菜中心、私は和食というのが食事のパターンでした。*妊娠期間中はとにか
く私と赤ちゃんの健康だけを考えて、分娩にむけて送る日々でした。妊娠する前から4年間も続けていたストレス解消のためのヨガを、マタニティのヨガに切り替えたのは妊娠6か月のころです。
そこまですべてが順調に進んでいったのですが、思わぬことが起きました。
妊娠も8か月に入ったころです。昔スキーでいやというほど腰を打ったことがあるのですが、それがこんなに重要な時期に出てきてしまいました。仙骨のあたりが痛くて、ほとんど歩行困難になってしまったのです。慌てました。
マタニティヨガに週2日、黄先生の紹介でマタニティマッサージに週1回、「痛みがとれるんだったら何でもしてみよう」と始めたおかげで、痛みはじょじょになくなってきたのですが、とにかく出産までの2か月は非常に忙しい日々でした。
2月21日、夫と同じ誕生日の息子は「ジャック
十兵衛」と命名されました。私の友達のほとんどは「えぇー」とびっくりしたり、あきれたりするのですが、夫の故郷イギリスでは、発音がフランス語の「ジュベ」に似ているためでしょうか「とってもいい名前」と評判です。
十兵衛は今6か月になりました。8か月とも10か月ともとれるほどに母乳と離乳食で
(夜間は夫がミルクを作ってあげています)大きく育っています。
離乳食といえば日本の場合は3か月を過ぎてまずジュースから、とおとなしいものですが、夫の故郷では1か月半くらいからバナナをガンガン食べさせたり、市販のアイスクリームを食べさせたりとメチャクチャ早いようです。夫の両親も「バナナを食べさせろ」と私達がイギリス滞在中ずっと云い続けていたのですが、さすがに怖い感じがしてそこは日本流を守りました。
育児は時間の制約はありますが、今のところ思っていたよりは楽しく息子との時間を過ごしています。