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西永恵子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 沖縄生まれの沖縄育ちで、東京に来たのは結婚した1993年の3月です。親戚もいないし友達もいない、頼りになるのは夫だけという状態で、何か心細い感じでした。しかも昼間はたったひとり。

 落ち込んでくるような感じがあったので、沖縄での経験を生かして、一時クリニックに勤めていました。

 妊娠を知ったのは結婚した年の7月でした。近所のクリニックで妊娠判定をしてもらい、*「里帰り出産」を前 提に、これも近くの総合病院で8か月まで健診を受けていました。

 妊娠をして初めに考えたのは、妊娠期間の自分のことより「とにかく健康な子どもであってほしい」ということでした。

 というのは、沖縄で総合病院の看護婦をしていた経験からです。ごぞんじかもしれませんが、看護婦はいろいろな科を回ります。私の場合も同じなのですが、中でも勤務の長かったのが小児科です。4年間くらいの勤務です。

 小児科には、もちろん何らかの病気の子どもが入院しているわけですが、ここで、子どもだけではなく家族のあり方や母親の生き方、それも悲惨な例を数多く見てきました。

 例えば、たいていの場合母親が子どもの介護につくのですが、介護に尽くせば尽くすだけ家庭が遠くなり、離婚になったケースとか、子どもはやっと直ったのに、母親だけが家を出ていかなければならなかったケースなど、子どもの病気と入院が母親の人生を変えてしまうケースをいやというほど見せつけられたのです。

 小児科にいた同僚に言わせれば「見なくてもいいものを見てしまった」というほどに過酷な人生です。

 この体験が「子どもを持つなら健康な……」を強く私に植えつけていきました。

 ですから、私自身の妊娠がわかった時にはどうしても健康な子どもが産みたい、の一心でした。マタニティヨガに通ったのもそのためです。陣痛の痛み(痛さに対する自信はありました。)や分娩に対する不安などは、まったく考えられませんでした。

「健康な子ども、健康な子ども」と考えて通ったヨガのスタジオでは、思いがけずに同じ妊娠周期の友達もできました。友達のお陰で、精神的な不安、それをどう乗り越えていくのかなどは解消されました。心強くなったなと思いました。

 妊娠期間中は、元々体の丈夫さには自信があったのですが、それまでの便秘が解消されるなどの大きな成果があって、何のトラブルもなく過ぎていきました。

 里帰り後の食事、自宅でできるヨガのポーズなどの指導を受けて9か月目に入った時に沖縄の実家に帰りました。

 里帰りしてからの生活は、本当にのんびりしたものでした。家事は親任せ、時にはポーズも休んでしまうなど……。東京での生活ペースはまったく置き去りにされたままでした。3月2日の朝、「おしるし」があり、まだ陣痛の自覚はなかったのですが、実家に近い医院に入院しました。夫が「分娩には立ち会いたい」といっていましたので、入院の時に電話をしました。

 2日は何事もなく過ぎたのですが、3日に入って、夜中過ぎから「痛み」を感じてきました。子どもを産んだ友達、母親からは陣痛の痛みについて聞いていたのですが「このくらいなの」というのがその時の実感でした。

 でも、その考えが甘かったのに気づかせられたのは、分娩の1時間30分前からの陣痛でした。思わずクラクラッとしました。痛みには強いと思っていたのに……。必死になって痛みを逃す「カァーツ」というヨガの息吐きをするのですが、それでも痛くて……。

 それは私の想像を超えた痛みでした。夫が分娩室に着た時には、思わず「痛いョー」とさけんでしまいました。

 助産婦さんと夫が一緒にするラマーズ式呼吸法に合わせて智一は誕生しました。

 長い里帰りを終わり、東京に帰ってきたのは7月の末、智一は4か月、もう少しで5か月という時です。実家での生活は、智一の育児のみに専念していましたので、東京に帰り、家事をしながらの育児で1か月で3〜4キロもやせてしまったのにはびっくりでした。

 子育てということだけを考えてみれば、気候的にも、環境的にも、例えば近所の助け合いもある沖縄の方が、今でも向いているのではないかなと思っています。

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