私が壱伊先生と出会ったのは、もう15年以上も前、第三子の妊娠6、7か月の頃でした。*
まず初めの日、そ
のクラスの体操風景に眼を丸くしていた私は、「今まで呼吸法と歩き方が間違っていたのかもしれませんね」と先生に言われ、本当にびっくりしてしまいました。考えてみれば、とりたてて、呼吸法や歩き方について教わったこともなかったけれど、そんな根本的なことが間違っているなんて、思いもしませんでしたから……。とにかくそれでは、正しい呼吸法、歩き方を是非会得しなければとの思いにかられて、その日から、毎週1回、先生のクラスに通うようになりました。
「無理せず、自分の体によく聞いて、できることを少しずつ続けて……」との言葉に励まされ、鼻から吸って口から長く吐く呼吸もじょじょにできるようになり、従って、体もだんだんと柔らかくなっていきました。わりと洋風だった食生活にも、根野菜の煮物、あずきを取り入れるようになり、また、それまで「よく食べよく寝る」ことがよいと思い込んでいた私は、ヨガの「小食小眠」の考え方をめざすようになり、生活にも大きな変化が現れるようになりました。それと共に、当時アトピー性皮膚炎に悩まされていた3才半の次女の状態も快方に向かい、年子を抱えての妊娠後期をとても健やかに過ごすことができました。
そうして生まれた三女は、とても機嫌のよい穏やかな育てやすい子でした。人が大好きで、また、いつも何か考えている風な神秘的な面があり、特に壱伊先生をお慕いして、2才の頃、先生についてヨガ大会へ行きピンクのレオタードを着てデモンストレーションに出していただいたほどです。その子も、もう15才となりますが、上の姉達に比べ、何か感が鋭く、物事の核心をついてくるようなところがあります。
その子が生まれてから、ヨガを生活に取り入れようと、先生のマンションが家から近かったこともあり、夫婦で夜のクラスに通うようになりました。そうするうちに、食生活も、それまでは何となく敬遠していた玄米と、野菜中心となっていき、寝る前のヨガ体操は欠かせない等、ヨガ色が濃くなっていきました。
三女誕生後3年半経って子どもが授かったことを申しあげると、壱伊先生はとても喜んで「今度はきっと男の子だと思いますよ」と言ってくださいました。今度は前回と違い、生活の中にヨガが入り込んでいる訳ですから、もっともっと妊娠中も積極的に過ごせました。いつも、先生のおっしゃるように、「命が宿っている体は最もよい状態にあるわけですから無理はせず、何でも挑戦してみましょう」という訳です。体操も前回の妊娠中はできなかったブリッジも臨月までにできるくらいになりました。とはいうものの、男の子かどうかについては半信半疑で、病院の先生にも「超音波で男女がわかっても絶対おっしゃらないでください」とお願いしておりました。
第二子出産の折より、いつも主人が立ち会っておりましたが、第四子は、胎内があまりに快適すぎたせいか(?)3,920グラムと大きく育ち過ぎていたにもかかわらず、極めて安産のうちに誕生いたしました。髪の毛がふさふさした、胴がソーセージのように丸い、元気な男の子でした。そしてすべてに対する感謝の気持ちでいっぱいでした。
今回はヨガっ子として育てようというので、はじめ母乳があまり出ない間も、看護婦さんに「絶対粉ミルクは飲ませないで」とお願いして白湯ばかり。でも3日も経つと母乳もたっぷりでるようになり、よく飲んでは、よく眠る手のかからない子でした。私自身も、赤ちゃんの体重の増減、その他いろいろのことに一喜一憂せず、この子はこの子のペースで飲んだり寝たりするだろうという赤ちゃん自身に対する信頼と、母乳も必要なだけは必ず出るだろうし、とにかく自分の感性でよいと思ったことに自信を持って育てようという気持ちを持ってゆったりしておりましたので、わりと落ち着いた子になったような気がしております。
実際に赤ちゃんと共に家に帰れば、まだ幼かった3人の娘達がそれぞれに欲求不満があったり、私の体調が戻るまでは、結構調整が大変な時期もありましたが、何よりも、子どもそれぞれに対する、「あなたはあなたのペースでうまくできる!」という信頼とまなざしを持って、親の方も正直な、どんとした態度でいれば、お互いのペースがかみ合って、うまくいくというのが、その時の実感であり今もって変わらない私の子育ての基本のような気がしております。
粉ミルクは一滴も飲まず、母乳と玄米ミルクを飲んで育った長男も、もう11才、マイペースながら、彼なりに落ち着いて考える、運動の得意な少年になりました。
世の中には、いろいろな基準があるけれど、自分の生き方に自信を持って、それを子どもに対してもその時々誠実にぶつけていくのが、育児だと思っております。