私は、平成2年3月に結婚して、1か月半で第一子を妊娠しました。私が23才、主人が33才の時でした。主人は大変な子ども好きで、恋愛中もディズニーランドの行列で並んでいる小さな子どもの風船をつついてからかってみたり「子どもができないとかわいそうだね」とまわりの人達に言われるほどでした。私も学生時代はレクリエーションのリーダーとして、夏はキャンプ、冬はスキーと子どもたちと生活を共にしていましたので、子どもは好きなほうでした。
そんな夫婦ですから、子どもができたことは大変喜ばしいことでした。しかし、私はまだ若く、家事もほとんどしたこともなく、また、姑と同居ということもあり、新しい生活、環境に全く慣れていませんでした。
妊娠初期に出血を2、3回して、その度に安静にするように言われ、1か月ぐらい実家で寝たきりの生活をしました。猛暑でのつわりもあり、日に何度となくもどしたり、じっとしていることの苦手な私にとって、大変な苦痛でした。
主人がいないということもさびしいことでした。
どんな人でも初めての妊娠は、ほんの小さな出来事にも不安になり、心細くなり、精神的にとてもデリケートになるものだと思います。本を読んでいると、妊娠中にしてはいけないことというものがたくさんあります。体を大事にし過ぎてしまってもいけないし、かといってどの程度なら動かしてよいかもわかりません。
また、つわりは何週間も続き、具合がわるい様子が続くと、主人も見たくないという感じでした。妊娠というものは女の人にしかわからないことだと思います。そんな時に同じようなマタニティの友達がいて、いろいろ相談したり、ストレスを発散することができたら、妊娠中もとても楽しく暮らせると思います。
私は、第一子の時は5か月からマタニティスイミングに通い、とても良い友達をたくさん得ることができました。プールの帰りには5、6人で一緒に食事をしたり、わいわい話をしたり、大きなお腹と荷物をかかえて出歩きました。結局、出産4日前まで泳いでいました。姑や実家の母も大きなお腹で出歩くのでとても心配していましたが、許してくれていました。そんなわけで、妊娠初期は辛い日々でしたが、後期はとても元気な楽しい毎日でした。
出産は夜中におしるしがあり、少しずつお腹の張っている感じがありました。健診の日でもあり、主人に病院へ送ってもらいました。待ち合い室で診察時間まで待っていると、突然チョロチョロという感じがあり、トイレへ駆け込みました。バケツをひっくり返したような勢いの破水でした。
止まらなくて出られなくなってしまい、看護婦さんが大きなお産用のナプキンを2枚持ってきてくれましたが、とても足りない程でした。やっとの思いで診察室へ入りましたが、またものすごい破水と胎盤早期剥離(妊娠後期になり、子宮壁から胎盤の一部がはがれ出血すること)で、半分位胎盤が剥がれていたらしく、靴まで血だらけになり、すぐ待機室へ運ばれました。まわりの人達はさぞびっくりしたことと思いますが、そのわりに私は、とても冷静で落ち着いていました。
初産は早くても5、6時間と聞いていましたので、まだまだなんだ、がんばらなくてはと無我夢中でした。途中10秒くらい、赤ちゃんの心音が止まってしまい、とても信じられない思いでしたが、吸引分娩で2時間40分、女の子を出産しました。やはり、赤ちゃんも空気の量が少なくて苦しかったのか、紫色の体をしていました。無事ほかの赤ちゃんと一緒にいるかどうか看護婦さんに頼んで見に行ってもらったり、自分でも歩いて良い時間には、新生児室へ行き、会いに行ったものでした。
妊娠中に母乳育児の本を読み、母乳でがんばって育てたいというのが私の夢でした。
「出産すれば母乳は必ず出る」と信じていたのですが、実際は4ccとか10ccと少ししか出ませんでした。吸わせれば出ると信じて、たくさんおっぱいの出るお母さんと一緒に、夜中の授乳まで行ったりもしました。子どもは出産3日目頃から黄疸が強くなってきて、光線療法のために箱の中に入りました。目隠しをして、靴下をはいていました。そんな我が子を胸に抱いて、他のお母さん達と一緒に授乳するのです。また、舅、姑が内孫が生まれて大喜びしているというのに、さぞ心配することでしょう、とか「お七夜をするけれども、退院できるかいつわかる?」などと主人からも言われると、どうしようもなく悲しくなるのでした。
退院してから2週間、実家へ帰されましたが、とても辛い時期でもありました。と、言うのは、新生児なんて抱いたこともないのに、1日中私ひとりで世話をしなくてはなりませんし、私はわけもわからず泣いていました。母乳の本には、おっぱいだけでがんばれば必ず出ると書いてあるので、ミルクは足したくないと思ったりで、とにかく眠くてノイローゼ状態でした。何もかもが初めての経験でした。
便が出ないと心配したり、目に何か浮いていると心配したりで、主人がいてくれれば、と、心細く思ったものでした。また、母乳の本の先生の所へ連れて行きましたら、赤ちゃんが舌小帯短縮(舌のつけ根のところにある舌小帯という膜が短くなり、舌を前に出そうとすると、まん中がひきつれて見える状態。先天的な形態の変異)と言われました。「舌小帯を切れば良いおっぱいなので、必ず母乳だけになれますよ」と言われ、「この子の舌小帯さえ切ればおっぱいが出るのに」と、とても切りたくなりました。主人も一緒に外科の先生の所へ行ってくれたのですが、主人が歯科医ということもあるのか切ってもらえませんでした。結局、母乳の方は混合で1才まで与えました。
今、考えてみますと、本当にあの時は精一杯で、マタニティブルーだったと思います。鬼のように、子どもを捨てる人の気持ちもわかると思ったこともありました。家にもどり、主人がいてくれたら精神的にも安心し、落ち着きました。やはり子育ては、ふたりで泣いたり、笑ったり、相談したりしながらするのが私には良いと思いました。
それから、上の子が1才6か月で第二子を妊娠しました。全く計画的ではないのですが、*子どもが出来るとい
うことは、本当に計画通りには行かなくて授かりものだと思います。第二子の妊娠中は1人目の時と違い、つわりもほとんどなく、元気いっぱいでした。やはり一度経験したことですから、心配なこともほとんどなかったからだと思います。
5か月から壱伊先生のヨガへ行かせていただき、食事からヨガのポーズから、大変お世話になりました。自然な食べ物が良いとか、今まではあまり気にしていませんでしたが、旬の物を食べたり、麦ごはんにしたりと食生活もだいぶ変わりました。妊娠中は体をねじってはいけないと思っていましたが、先生に教えていただいたとおりにポーズをしますと、体中のこりが取れ、体が整う感じがしました。出産2日前まで通っていました。
第二子でしたので、一生でもう2度と出産することはないのではないかと思い、どうしてもお産に立ち会ってもらいたいと、主人にわがままを言いました。「近くの病院でないと子どもに何かあった時に大変と」反対されましたが、最後には希望を聞いてくれて、夫立ち会いのできる病院に決めました。
陣痛は夜中から始まり、主人に陣痛らしいことを言いましたが、疲れているらしく寝ていました。1時間ほど間隔をはかって、8分間隔くらいなので急いで車で行きましたが、着く頃には2、3分間隔になっていました。夫立ち会いということで、初めはひとごとのようにしていた主人も、子宮口が7、8センチになり、本当に苦しそうになったときは、腰を押してくれたりして助かりました。
また、分娩台では、手を握ってくれていたので、とても心強かったです。「できるだけ会陰切開しないでがんばりたいんですけど」と、助産婦さんに言いましたので、呼吸法は“フーウン”“フーウン”と軽く息むやり方でした。赤ちゃんの頭が見えてからは、“ハー”“ハー”と息を吐きました。自分でもびっくりするほどスムーズに、赤ちゃんの体が滑り落ちてきました。主人とは「えー生まれたの?よかったねー!」と手を握り合いました。赤ちゃんも体は赤くてとてもきれいでしたので、“もう洗ったの?”と聞いてしまいました。
女の子だとばかり思っていたのに、男の子と聞き、また大喜びしました。長女の時の吸引分娩とは大違いで母体にも傷がつかず、無理がなく、「いい分娩だなあ」と思いました。会陰切開もなかったので、ドーナツ椅子に座らなくてすみ、すぐに座ったり歩いたりでき楽でした。主人も夫立ち会いはよかったと言ってました。
これで無事ふたり出産することができたわけですが、生まれた後の子育ての方が何十倍も大変です。本当に楽しくて笑ってしまう毎日ですが、怒ることや、疲れることや、母をやめたいと思うこともあります。
長男が誕生した2日目に、お姉ちゃんの方が実家で、お鍋に入ったみそ汁につっ込み、大やけどをしてしまいました。左顔面と両腕です。私はまだ入院中ですので、心配で心配で帰れるものなら帰りたいと思いました。電話で様子を聞くと、「焼けぼっくいの様になっている、皮膚の移植かもしれない」と言われ、胸は張り裂ける思いでした。主人や母が、病院通いから、「パパ、ママ、ごめんなさい」「痛いよ、痛いよーママ」泣く子を押さえ、夏で汗をかくと跡が残ってしまうからと、昼と夜にシャワーをかけたりと世話をすべてやってくれました。包帯の間からやっと出ている2本の指でお絵かきをしている様子は、「涙がでそう」と母に聞きました。
お陰様で、今ではわからない程きれいに治りましたが、私たち夫婦にとって長女のやけどで、親としての自覚がいっぺんにできたような気がします。結婚する前は、母親の言うことなんて聞かず、親の気持ちなんて思いやることもせず、わがままばかりしていましたが、自分の子どもが初めて大やけどをした時に、子どものために精いっぱいのことをしてあげたいと思いました。同じように自分たちの親が自分にしてくれていたのだということがわかり、親への感謝の気持ちが沸き上がってきました。
長男出産後は実家に帰らず、すぐに家へ帰ってきました。出産までは手のかからなかった長男も、生まれてからはお姉ちゃんの時の何倍も手がかかりました。物音がしてもすぐに目を覚ますし、おしっこが少し出ても泣くしで、初めは紙オムツでしたが1時間に6、7枚も使ってしまうので、布オムツに替えました。やけどのお姉ちゃんとふたりですのでよけい大変でした。母乳の方は知り合いの助産婦さんに来ていただいて、男の子なので吸う力も強いせいもあると思いますが、母乳だけで育てることができました。1才頃までは夜中も10回くらいおっぱいを吸っていました。でも1人目とは違い、お姉ちゃんもいますので、私が昼間寝ているわけにいきませんから、母親はどんどん強くなっていくと思いました。
今現在、長女3才9か月、長男1才4か月になります。長男は、おっぱい大好きっ子で、*2日前まで“パイパ
イ”と私の胸に手をつっこんできました。断乳しようとして2日目になります。おっぱいにキツネさんの顔を書いて、絆創膏をはって、「ママのおっぱいキツネさんになっちゃったよ」“コンコン”と言うと喜んでいました。しばらくは信じられない様子で、何度ものぞいては“コンコン”と言って喜んでいましたが、妙に納得してしまったのか、ひとつも泣きませんでした。こちらの方がびっくりしています。
我が家はすっかり、子どもに振り回されています。今、子どもに対して望むことは、
「どろどろになって、思いっきり遊んで欲しい」ということです。それから、今しかできない遊び、楽しい思い出をたくさん作りたいと思っています。(夏に出かけたところはたくさんありますが、サファリパーク、波のプール、乗馬、乳搾り、盆踊り、お祭り、サンリオピューロランド、ぶどう狩り、花火大会、キャンプ、ディズニーランドがありました)
近くに大ばあちゃん2人、おばあちゃん2人、おじいちゃん2人と年寄りに囲まれている環境ですが、とても優しく、思いやりのある子どもたちです。また、おじいちゃん、おばあちゃんも孫の顔を見ると元気が出てしまうと言います。元気の元みたいな子どもたちです。お姉ちゃんは一人前であり、「どうして?」を連発し、説明するのが大変だったり、祖母が白内障の手術の帰りに、「帰ったらノンノちゃんにチンチンしようね」と優しくて、かわいらしいことを言ったりもします。
長男の方は、だいぶ人間らしくなり、ママ『大好き』とやっと話せるようになった言葉で抱きついてきてくれたり、かわいい仕草を見せてくれるようになってきました。
子どもが子どもを産んでしまったような感じですが、子どもから教えられ、考えさせられ、反省したり、子どもを通してたくさんの友達も得られました。これからも子どもと共に成長して社会勉強していきたいと思います。