パート1『第一子出産』
◇29才になったら子どもが欲しい
少女の頃から、29才になったら子どもを産みたいなぁと思っていたら、願いかなって結婚3年目の29才のとき、第一子を授かることができました。
妊娠5か月の時、仕事のパーティーで栄養士の菅原道子さんにお会いしました。菅原先生に「妊娠中農薬づけの野菜を食べるなんてとんでもない!食事にはもっと気を配らなくちゃ」と自然食のこと、マタニティヨガのことを教えていただきました。以来菅原道子著「太らないお産のすすめ」(文化出版社)は、妊娠中の最良のテキストとなりました。それまで、私は仕事していたこともあって、お昼は毎日外食、夕飯もお弁当やレトルト食品ですませることもざら。ほんとにいい加減な食生活でした。
◇マタニティヨガをはじめて
マタニティヨガへは妊娠7か月から通いはじめました。ここでは生徒ひとりひとりに、食事はもちろん生活習慣、病院選び、産後の過ごし方にいたるまでの相談にのってくれました。
元来、怠け者の私も毎日せっせとヨガを行い食事もずい分改善することができました。 ヨガで腰痛がなくなり、身が軽くなるので家事をするにも、助かりました。しかし長年の不健康な生活習慣で体がゆがんでいたためでしょうか、逆子が治りません。ずい分、手をほどこしていただきましたが、とうとう逆子のまま出産日をむかえることになりました。◇ニコニコ出産
朝おしるしがあり、夕方から陣痛がはじまりました。ヨガ教室で「こういう状態になったらそろそろ病院へ連絡なさい。そして、呼吸法はこうよ」と何度も何度も教えられ、呼吸法は身にしみつくほど練習していました。そのせいか、初産とは思えない落ちつきぶりでシャワーをゆっくり浴びた後、大好物のあんみつを食べて、おろおろする主人に、「だいじょうぶ」とポンと肩を叩いて病院へ向いました。
病院では幸運にも、助産婦さんと看護婦さん、あわせて3人のいたれりつくせりの介護を受けることができました。
陣痛の痛みもヨガの呼吸でクリアー。食べ過ぎでお腹をこわした時のほうが、苦しく感じた程、ヨガの「はく息」で痛みは、ずい分軽減されました。さらに破水直前のうねるような痛みの時は、私の大好きな「ユーモレスク」を口ずさんで、気持ちをまぎらわしました。入院後2時間で、逆子でしたが自然分娩で女の子を出産することができました。
ずっと笑顔で陣痛をのりきり、初産とは思えないゆとりの出産をしたので、まわりの助産婦さん方にずい分ほめていただきました。
大学受験も失敗し、その後チャレンジした編入試験にも失敗した私は、これまでの人生の中で十分な準備が実り、目標を達成したことは一度もなかったような気がしていました。第一子の出産は、何事にも自信のなかった私にとって輝かしい成功体験となり、生きる自信につながった様に思います。
◇産後1か月はあなたの奥さん、さわらぬ神にたたりなし
無残にも出産直後の至福の時は退院と共に過ぎ去りました。「産後1か月は心身不安定で、ご主人に『私は気がくるうよ』って、予告しといた方がいいわよ」と言われたとおり、ぎゃーすか、ぴーぴー、一日中泣く子どもをこのまま窓から捨てたい衝動に何度もかられ、週末に私たちを置いてゴルフに出かける夫に「どうして私だけが毎日家にとじこもって、この子のうんちの世話をしなくちゃいけないの???」と泣きわめくやら、クッションを投げとばすやら。(今でもゴルフへ出かける夫には、異常に手厳しいのはその時の後遺症かもしれません。)
◇母乳育児相談所へ駆けこんで
その上、生後1か月を過ぎた頃から、すべすべだった、かおるのお肌に異変が……。顔や頭にポチポチがどんどんできてきて小っちゃな手でかきむしりはじめたのです。1か月検診の時相談したら、「じゃ、これ使ってね」と何気なく渡されたのが副作用で悪名高いステロイド剤。とんでもない!とあわてて、母乳育児相談所の山西みな子先生を訪ねました。そこでは、おっぱいのマッサージ(痛くなくて肩こりもとれてとてもいい気持ち!)から母乳育児のアドバイスとアトピーっ子の民間治療的アドバイスを親切にしていただきました。
1か月検診の際、小児科の先生に「あまり体重が増えてないのでミルクを足したら?」と言われて困っていたのですが、山西先生は「安心してお母さん、母乳だけで大丈夫。腹八分目は赤ちゃんも同じよ」と太鼓判を押していただきました。さらに、母乳を赤ちゃんが欲しがる時にいつでもあげていいことなど、育児の情報過多による迷いがいっぺんに解消されました。暑くるしくて面倒だった授乳の時間も、子どもが上手に飲んでくれるようになって、とっても楽しくほっとするひとときと一変したのには驚きました。
◇アトピー性皮膚炎に悩まされて
しかし、一方でアトピー性皮膚炎はひどくなるばかり。ついには耳切れになりひじの内側はやけどのように赤むけになりました。上半身もポチポチが…。かゆみで寝つきが悪くなることもしばしばでした。後に愛育病院で処方してもらった非ステロイド系の消炎剤を塗って何とか少しかゆみをおさえることができました。厳格な除去食こそやりませんでしたが、卵と牛乳は母子共に避けた方がよいことが子どもの様子をみてわかってまいりました。
思い起こせば、私は幼稚園までアトピー性皮膚炎、主人は小児ぜんそくで病院通いをしたアトピー夫婦でしたので、たとえ妊娠中から食生活に気を配っていても、産まれた子どもがアトピー体質でないことの方が不思議なくらいなのです。それでも母乳を1才半までつづけたことや、添加物や農薬のおそれのある食品はなるべく避けたり、卵や牛乳、白砂糖のものは、ごく少量にしようと心がけてきたことが、快方へと向かったのでしょう。2才を過ぎました頃から、たまにケーキを食べた日の晩、お風呂でかゆがる程度でアトピー性皮膚炎はほとんどよくなりました。
また、一番心配したぜんそくへの移行もなく、5才になった今は幼稚園で、2番目に背の高い元気いっぱいの女の子に成長してくれました。
パート2『第二子・あずさの出産』
◇助産院での出産は、夫がヘソの緒を切って……
長女のかおるが、1才半で断乳してから半年後、2人目の子どもを妊娠しました。今度はかおるを連れてマタニティヨガ教室へ通いました。もっと能動的に自然に生みたいと助産院での出産を決意しました。ここ黄助産院では、夫立ち会いと言っても、よその病院のように白衣を着せられて出産シーンを傍観するのではなく、背中をさすったり、産婦を抱きかかえて移動させたり、そして生まれた子どものヘソの緒まで切るなど、大活躍でした。出産に直接かかわることができて、夫にとってはとても貴重な人生経験となったようです。ヘソの緒を切り、まず第一番に抱き上げたのは、母親の私ではなく父親の自分だということが、父子のつながりを特別愛情深く育くむ根っことなった様です。
病院の分娩室は煌々と明るくて、分娩台に足をひろげてあおむけになることがほとんどだと思いますが、ここでは、灯りは豆電球程度の薄暗がりの中、一番自然な好きなポーズで出産できたのは、安産につながった以上に夫への恥じらいが解消できてよかったと思いました。しかし一方、夫がそばにいると、つい甘えてしまって第一子の時と比べ、痛みをのりきる気丈な気持ちが、なえてしまったことも多少ありました。
助産院のいいところは子どもの安定した精神を形成する上で、非常に大切だといわれている出産直後のスキンシップを存分にできることでした。入院中は子どもと一つ布団で添い寝をし、泣けばその場でおっぱいを与えてやることができました。
また、アレルギー体質予防のためにマクリ水(漢方薬の下剤の一種)を飲ませてくれて、*胎便をしっかりたく
さん出すことに注意を払ってくれました。
◇色黒だけど、すべすべお肌のあずさちゃん
お蔭様で第二子のあずさは、アトピーで悩まされることもありませんでした。また、あずさはおっぱいが欲しい時とお尻がぬれている時以外は、全く泣き声一つたてない、とてもおだやかな赤ちゃんで、私はずい分楽をさせてもらいました。山西先生のアドバイスのもと、2才のお誕生まであずさには存分におっぱいを飲ませてやりました。
おなかの中で十月十日共に暮らし、私のおっぱいを飲んで大きくなったかおるとあずさ。*私のおっぱいから元
気に巣立ったふたりの子どもたちよ、どんどん大きな世界へと羽ばたいて行ってくださいね。