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居組可代子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 私の子育て体験による、自立と国際化について思うこと。

 私には、遊という小学5年生の男の子と、空という小学3年生の女の子がいます。

遊が2才になって、すぐに、駐在員としてロスアンジェルスに行きました。1985年のことです。そして去年の春、1993年の春に日本に帰ってきました。思えば、瞬く間に過ぎ去った日々でしたが、外国の生活を体験し、また、日本を離れてあらためて日本をみることができた良い体験だったと思います。いろいろなことを混ぜて妊娠・出産・育児のことを書きたいと思います。

 初めての子どもの妊娠、出産のときはまだ日本にいましたので、壱伊先生の母胎育成指導のもとで、胎児を育てたことは、今思い起こせばとても良いことだったと思います。

 母体が心身共に健全であればあるほど、胎児は良い状態で育って行くということを学びました。母胎育成のヨガをし、自然食をし、胎児のストレスを少なくし、なるべくすくすくと育つように願いました。そして無事自然出産したときはうれしかった!。2人目の子どもはロスでの生活が始まってすぐに授かりましたので、壱伊先生に教わったことを心掛けて、胎児を育てていました。何につけなるべくいつも良い気分でいられるよう、ポジティブな考え方を心がけました。また体のことについては、便秘にならないように気をつけました。

 いずれにせよ体のリラックスがあって心がリラックスし、心がリラックスしていれば体もリラックスするものだと思います。2人目も無事出産しました。分娩室から部屋に戻るとき、看護婦さんが10人以上も並んで「おめでとう。おめでとう」と言ってくださったのはとてもうれしかったし、私のびっくり体験のひとつです。紙オムツが嫌いなので、しこしこと布おむつを洗って外に洗濯物が干せないので、部屋に干していたのを思い出します。そして赤ん坊が歩けるようになるまでショイコにしょって育てていました。

 話が飛んでしまうのですが、私たち家族の子育てに絶対に忘れられないのがおばあちゃんの存在でした。上の子が5才で下の子が2才のとき、明治生まれの80才のおばあちゃんをロスに呼んで、5人家族の生活を始めました。そのおばあちゃんは残念なことに私たちが日本に帰る前の1992年に83才で違う世界にいってしまいました。が元気なときは、毎日毎日子どもに絵を描いたり、字を教えたり、一緒に遊ぶなど、それはそれは一生懸命でした。そしてそれらの経験から、おばちゃんの存在の大きい家族と、少ない家族の子供たちのおおらかさ感の違いを感じました。必ずしもそうだとは言い切れないのかも知れませんが、子どもに人間としての幅ができるのは確かだと思います。だから私はおばあちゃんと一緒に子育てをするのは大賛成です。ビシッと叱るしつけ、いい子のときは思いっきりほめたり、おばあちゃんは偉大だったと思います。私には到底できるものではありませんので少しずつまねているような毎日です。

 さて、アメリカは違いを明快にさせる文化をもっています。だから、あなたと私は違って当たり前なのです。子どもを親とは違った独立したものとして育てます。親は親で、親の独自の生活を保つために新生児の時からベビーシッターに預け外出したりもします。ですから、子どもは幼いころから自立を仕込まれます。親子でも別々の人格として、お互いの域には相手を納得させてしか入れないのが当たり前です。そのために論理的思考をし相手を納得させていきます。

 わたしの下の子どもも小学1年生になったとき(日本より半年早く小学校が始まるので日本では幼稚園年長時のころ)、学校で「黒人で成功した人について」をレポートにまとめて提出する課題がありました。もちろん親もそのレポートを手伝っていいわけです。『誰が、いつ、どこで、何を、どうやったか』という形式でレポートは作成されます。そういうふうに幼いころから論理的思考を育てるのだと思いました。アメリカとは反対に日本では、親子の間のあなたと私の境界がなく、子育ては始まるのだとよく言われます。親と子の区別を認めず子が痛めば親も痛む、親が痛いところはあなたも痛いでしょ、が常だと言われます。だから自立ができないでいると……。

 自立の面から言えば、確かにアメリカの子ども達の方が上だと思います。けれども精神的発達度を無視し、自立のみを要求される子どもにとっては、同時にとっても寂しい思いでいるということはよく聞かされました。このことから、その子ども子どもに応じて育てられることが一番いいことだと思うようになりました。

 国際化とはよく言われることばですが、それは自分の中に自分と違うものを受け入れることが始まりだと思います。自分と違うものの「違い」は、あなたと私の違いではなく、人それぞれの精神的な発達段階のことを言うのではないかと思います。それを認め、受け入れ、歩み寄るところに国際化への始まりがあるのではないでしょうか。そのためには、「皆と同じでいいわ」という考えに流されないように自分を作っていくことが大事だと思います。会話をするときに、アメリカの子ども達が『誰が、いつ、どこで、何を、どうやって』というように論理的に会話を組み立てていくように、自分たちもそうやっていけばもう少し自立ができるようになる、国際化もできるようになると思っています。ところで明治生まれのおばあちゃんの子育ては、古めかしいことばですが、“父のように厳しく、母のように優しく”なんです。私はそういう子育てがいいなと思います。

 最後に、妊娠・出産や育児でストレスがいっぱいたまると思うのですが、その合間には自分をリラックスさせて、自分の中のああしよう、こうしようという心の呼びかけに素直に応え、それを実行していく、自分というものを作っていくことが、ストレスから解放される始まりなのかもしれないと思ったりもします。

 皆さんもがんばってください。わたしもがんばります。

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