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沼波稚薫

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 私には、8才の娘と、5才の双子の息子がいます。長女は、結婚して7年目に産まれました。結婚1年後に、主人の留学について米国で2年過ごしましたが、その間子どもを作らないようにしていたせいか、帰国後もすぐには授かりませんでした。そんな時、お友達の紹介で、ヨガの妊娠準備クラスに通い始めました。ヨガのほかに普段の食事から気をつけるようにしました。真面目でなかった分、妊娠まで少し時間がかかりましたが、良い体の状態で子どもを持てたと思っています。そして、妊娠5か月が過ぎてから、出産準備クラスに通いました。30才と高齢でしたが、出産に対しての恐れもなく、破水しても慌てずできました。

 双子の息子達の出産は、主人が米国駐在中でした。妊娠9か月の最後の週に、破水し、自然分娩で生まれましたが、1,968グラムと、2,224グラムで、やや小さく、感染症の心配もあり、国立小児病院へ25日間入院しました。私の入院中は、息子達の代わりに娘が病室へお泊まりしました。息子達の入院先へは、義父が毎日、冷凍した母乳を届けてくれました。入院中、混合だった息子達も、次第にミルクを嫌がり母乳しか飲まなくなりました。3人共、断乳までおっぱいは3時間おきの生活でしたので、妊娠中もしっかり起こされましたが、あの頃は本当に頑張れたんですよね。

 そして、息子達が3か月の時、主人の両親と、私の母に同行してもらい渡米しました。キャリーチェアーに寝かされた息子達を、義父と私がひとつずつ下げ、3才の娘は母達に手をひかれ、おもしろいグループだったことでしょう。でも、13時間もの間、飛行機の中で3人共とてもいい子でした。アメリカでは、紙おむつ、ミルクやジュースに、乳首をつけてすぐ飲ませられるものなど、便利なものが多く、近所の人に気を遣わずいつでも洗濯、乾燥ができ、皿洗い機のお陰で家事も助かりました。双子用のベビーカーも、スーパーでも、ショッピングモールでも、悠々と押して買い物ができました。私達のいたバージニアの夏は、湿度が高く日本とよく似ています。冬は、時々大雪が降ります。東北ぐらいの寒さでしょうか。

 でも、家の中はセントラルヒーティングなので、とても快適ですが、乾燥しすぎるため、子ども達はよく喉を赤くし熱を出しました。咳が出始めた時は、日本から持っていった里イモ(湯でといて温湿布、水でといて冷湿布として利用)の粉で湿布して様子をみて、熱が高くなったら、ホームドクター(もちろん日本人)の所に連れて行きました。この湿布は、指をドアにはさんだ時や、転んで腫れた時など、とても役立ちました。

 それに、息子達が1才4か月の時、体力の限界を感じて断乳を決意した時も、この湿布を使いました。里イモ粉は、今でも我が家の常備菜です。そして、鼻水など体を温めたい時は、葛湯を飲ませるようにしていますが、子どもが大きくなるにつれて、飲んでくれないのが残念です。息子達は、2回ずつ救急病院も経験しました。4回とも怪我です。いつも、夜7時〜8時の寝る前に起こって、病院から帰ってこられるのは、夜中近くでした。4回も救急病院に行った日本人は、我が家くらいでしょう。

 渡米して3才の誕生日を迎えた娘は、9月から、幼稚園に通い始めました。スクールバスがあって、日本人の多い所に決めました。4才からは、米国にも慣れたので、モンテッソーリ教育(イタリア人の医師マリア・モンテッソーリが、社会的にリハビリの必要な子どもや障害児のために始めた教育プログラム。現在では一般化している。子どもを中心として教具を重視したもの。子どもが自分自身をよく知るようになるという大きな成果がある)の幼稚園に変わり、帰国前まで通園しました。英語は、発音だけ残っています。息子達は、YWCAに通いました。週3回、お弁当と紙おむつ、着替えを持って通います。25人の子どものうち、3分の2は日本人でした。米国の先生方は、本当に子ども達をよくほめてくださいます。少しでも見習いたいです。息子達がYWCAに行っていた、火・木・金曜日の9時〜1時までは、私も買い物や、お友達とお昼を食べに行ったりできて、楽しむことができました。

 3年間の米国生活は、家族で過ごせる時間が多く、子ども達と父親の絆も強くなりました。子ども3人の育児で忙しい私を見て、主人は本当によく助けてくれました。日本と違って帰宅が早いせいもあり、お風呂に3人入れて、浅いバスタブで湯冷めしたこともしょっちゅうでした。子ども達が寝る前には、本も読んであげていました。気候の良い時は、双子用ベビーカーに3人乗せて、よく散歩しました。近所の人達も、子ども連れには暖かく、親切で、気軽に声をかけてくれます。時々、「ビューティフル・ファミリー」と言われましたが、米国でも、男女合わせて3人の子どもは、理想的なのでしょうか。

 それにしても双子の多いことには驚きました。洋服など、双子割引のあるデパートがありました。子ども達のお陰で、ハローウィーン、クリスマス、エッグハンティングなどの行事を楽しむことができました。そして、娘と同じ年の女の子のいる近所の家族とも親しくすることができました。米国に着いた翌日、娘と遊びに誘ってくださったのがきっかけでした。英語などもちろん知らない娘でしたが、遊びに行って興奮して帰ってきました。地下室(30畳くらい)がプレイルームになっていて、おもちゃはおもちゃ屋のようにたくさんありました。米国のおもちゃは実物大のものが多く、子ども達は大喜びでした。米国では、子どもの誘拐が多く、東洋人の子どもは「高く売れる」などと聞いていましたから、外出時にはとても気を遣いました。

 そして、子どもだけの留守番も、12才以上の子どもがひとりもいない場合は、州法で禁じられていました。子どもが寝ているから、セブンイレブンでちょっと……などできる日本は、本当に安全な国ですね。車の運転ができれば、ドアからドアへでとても便利でしたが、病院の帰りに、ドラッグストアーに薬を取りに行く時でさえ、子どもがどんなに高熱でも車から降ろして連れて歩かなければいけなかったので、病気の時だけはかわいそうでした。

 車社会のせいで、帰国したばかりの頃は、子ども達が歩くのを嫌がり困りました。息子達のトイレトレーニングは、外出時、日本のようにあちこちトイレがないので、3才の帰国まで紙おむつでした。近所の方が、「男の子は、3才までおむつでいいのヨ。私の息子もそうだったけれど、3才になってトレーニングするとすぐとれるわよ」と言ってくださったせいもあります。でも、そんなに簡単ではなく、夜だけの紙おむつがとれるまでに、1年近くかかりました。女の子の方が早くとれると聞きましたが娘は3才前にとれました。離乳食も、日本でしっかり進めた娘と違い、ガーバーのビン詰や、コンフレークをよく利用した息子達は、食べず嫌いが多いのです。特に生野菜ですが。

 6才直前で帰国した娘は、私学の小学校に入学でき、2年生になりました。がんばりやなので、勉強の面ではあまり心配していませんが、外で目いっぱい長女としてしっかりしたお姉さん役をしているせいか、家の中では難しくなってきました。年齢的にも、だんだん大変になるのでしょう。でも、弟達との三角関係は、以前より上手につきあえるようになり、3人で楽しそうに遊んでいることが多くなりました。息子達は、近くの幼稚園の年中組に通っています。ひとクラスなので、どちらかひとりがけんかをしていると、もうひとりがすぐに助けに入り、2対1のけんかになってしまうことが多いらしいです。普通の兄弟以上に絆が強く、けんかの場合でなければ喜ばしいことです。そんなふたりの間でも、少しずつライバル意識が芽生えてきて、どちらが上手か聞かれることが時々あります。

 性格は、正反対なので、それぞれの得意なもの、不得意なものを早く見極めてあげたいと思っています。

 なにはともあれ、3人共優しい気持ちの子どもに育っているので幸せです。そして、子どものお陰で、主人も私も成長させていただいています。

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