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山田ゆみ子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 私は仕事を持っていたこともあり33才で出産しました。妊娠中は保健所の紹介で、ヨガと食餌療法の教室に通いました。運動をしながら正しい食生活について勉強する教室で臨月にブリッジをしたくらいハードだったのですが、そのお陰で出産は2時間という安産でした。

 食事の方も以前はいいかげんでしたが別人のようになり、できるだけ自然の、添加物のない物を食べるようにしました。子どもを産んでからも食生活はすっかり変わりました。そして無事出産も終わり、さあ楽しい子育てが始まると意気込んでいたのですが、いざ始まってみると何もかもうまくいかないのです。妊娠中に読みあさった育児書にはちっとも当てはまらないし、生まれて初めて真剣に悩みました。

 まず母乳で育てようと母乳研究所にまで行き、出産前からパンパンに張ってビューッと飛び出すおっぱいを予想して、大きなブラジャーを買い込んでいたのですが、体重がそんなに増えなかったために胸もそれほど大きくならず、ブラジャーはおろかマタニティウェアも全てブカブカで使えませんでした。病院を退院する日に妊娠前に着ていたボディコンのワンピースで帰ったくらいなのです。という訳でなんとか4か月くらいまで母乳を飲ませたものの、子どもの方がすっかり受けつけてくれなくなり、とうとう断念しました。そしてミルクにしてみたものの、また飲まないのです。そのうえゲップが出なくて、人に聞いたり、本に書いてあるようにしていてもちっとも出なくて、相当時間がたってもゲップは出ないと思って横にすると、やっとの思いで飲ませたミルクをいきなり全部吐き出してしまうという繰り返しでした。

 その後も寝返りもなかなか出来なかったし、ハイハイも遅い、離乳食の時期には、本で良いとされるような、にんじん、かぼちゃの裏ごしなどをたくさん作って冷凍しておいてみてもどれも食べてくれません。

 それならと市販のベビーフードもほとんどの種類、最後はアメリカ製まで食べさせてみましたがダメで、結局うちの子は離乳食の時期というのはありませんでした。体重はちっとも増えず、保健所では毎回食事指導で残され落ち込んでばかりだったのです。出産前にしていた仕事にも復帰していたので、その点の苦労もありました。私の母、主人の母、お友達、近所の方とあらゆる方にお願いをしてみましたが、主人の母は遠くに住んでいるし、私の母は長時間は疲れてしまう、近所の方だとお礼をしたりで、結局、気も遣うし高くついてしまったりする。

 お友達の場合、良いわよと言ってくれていたのですが、ある日ご主人と会った時大変とこぼしていると聞いて、やはり難しいと思い、ベビーシッターさんが良いということになり、今お願いしている方を見つけるまで、シッターさんと合わなくて仕事を休んだりと大変でした。幸いとても良い方がみつかり、今は安心して仕事ができます。

 それから仕事をしながらの子育てだと、公園にも行ったり行かなかったりなので、そのおつき合いでも落ち込みました。自分のことならまったく平気ですが、自分の大切な子どもがほかのお友達の輪に入れてもらえなくて悲しそうだと、本当にどんなことより辛いことでした。公園の世界は女子校の世界に似ていると思います。みんなでくっついて一緒にいればとても親切で仲良くしてくれるのですが、たまにふらっと顔を出す人には冷たいのです。なんとか子どものためにと考え、スイミングスクールにも入れましたが、途中からだとよけい孤独感を味わい、子どももイヤがるので続きませんでした。

 そんなある日、都の乳児院でお母さんと子どもの教室があるというので電話をしてみました。お話しているうちに涙声になってしまい、落ち込んでいる様子を心配してくださって、次の日すぐ相談を受けてくださり、予約がいっぱいだったそうですが、その2か月後に乳児院に2週間通うという、教室に入れていただきました。乳児院にいるお子さんたちと一緒に遊んだり食事をしたりして、勉強するということでしたが、子どもより私が本当に勉強させていただきました。一生、忘れない経験だったと思います。うちの子より小さい、生まれたばかりの子から5才くらいまでの子どもたちが、あらゆる事情で両親と離れて生活しているのです。両親がわからない子もいました。最初の何日かは家に帰って、そういう子のことを思うと泣けて泣けて眠れませんでした。

 でも、どの子も明るくみんながんばって毎日を生きています。先生方も変に同情的ではなく、優しい時と厳しくぴしっとしつける時と、子どもたちが社会に出てゆく時のために素晴らしい子育てをしています。

 私よりずっと若く、お子さんのいない方が、仕事ではあっても子どものウンチをかえたり、一生懸命子育てをしているのをみて本当に反省しました。そしてそんな忙しい合い間にこんなわがままをいっている私にどんなことでも、みなさんが親切に相談にのってくださいました。

 そういう経験をしてずいぶん変わったと思います。子育てというのは女性にとって結婚の次にくる、理想を求めてしまうオニの夢ともいえるのではないでしょうか。私の周りにももちろんたくさんの子育てを経験している方がいます。何の問題もなくうまく育った方もいますしさまざまです。それだけに私のようにモタモタして子育てをしているとあらゆる方があらゆるアドヴァイスをしてくださるのです。そしてその度に一喜一憂してきました。

 今、子どもが2才半を過ぎてはっきりわかったことは、うちの子はうちの子の育て方しか出来ないということです。人は本当にひとりひとり違うから、ほかの誰とも同じにゆかなくて当たり前と思います。そして子どもは、産んだのは私でも別の人格を持っているから、自分の思うようにならない、例えば親がそばにいなくても育ってゆける強さを誰でも持っていると思います。

 今、私は子を育てようというより、子どもと一緒に生活して自分が一所懸命、生きている姿を見てもらおうと考えています。子どもの教育をするより、毎日の生活をがんばって手抜きをしないでいようと思っています。仕事をして出産前から習っていた、英語とクラシックバレエを続けています。子どもの方はまだオムツも取れていませんが、今では本人の意志にできるだけ任せていこうと思っています。

 今、何でも親の真似をする時期なので、子どものフリ見て我がフリ直せという感じです。*逆に子どもに教育さ れているようです。家の子は体重も少なく全てに遅れぎみですが、体は丈夫でとっても明るいので、私も仕事を続けられるし、私の家族にとって大切な生きていく支えです。仕事でどんなイヤなことがあっても、子どもを見ただけでケロッとしてしまうのです。

 最後に私が絶対言いたいのは、私のようにちっとも思うように子育てが出来ず、公園の輪にもなじめず、そして忘れていましたが子どもに手を出してしまうお母さんもいらっしゃると思います。そんな時、私のケースを思い出して、世の中には必ず同じようにうまくゆかない人もいるのだから「自分を信じて安心してがんばってください」。

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