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山崎久美子

私たち50人の出産体験記/シオン発行より


 私は保母という仕事についてから10年目(結婚して4年目)で、ようやく我が子に恵まれた。育児の方は、多少なりとも他人のお子さんをみせていただいていたので、どうにかなるだろうと思っていたが、こと妊娠・出産については、未知の世界であった。

 胎児期からつながった子どもとして、この経験は仕事に生かせるかもしれないと思い、勉強のためにと、月刊のマタニティ雑誌を月に何冊も買った。ペラペラとめくって見ながら、いつも結論は、「なあんだ、どれも皆、同じようじゃない」であった。でもまた翌月も買い、あまり読まないうちに部屋の隅に山積みにされていった。

 出産のための入院の荷造りの時も、「陣痛の合間に読むページ」なるものや「産んだ後の体操や生活」についての記事を数冊分も切り取って荷物の中につめた。

 私の場合、陣痛が始まってから出産までの時間も短く、安産で、女児を出産した。そして、病院のスケジュールと育児をこなすうちに入院生活が終わり、カバンにつめた切り抜きを一度も手にすることはなかった。

 ある日、ふと気がついた。私はマタニティ雑誌を勉強のために買っているのではない。たいして目を通さないのに雑誌を買ったり、切り抜きを荷物につめることによって、初めて迎える妊娠・出産への安心感を山積みにしているのだと。表紙に記されていたタイトルはすばらしく、どちらかといえば暗示にかかり易いタイプの私に、母になる夢と希望と安心感を与えてくれるには十分であったようだ。

 夫婦ふたり家族の私たちが、雑誌に「安心感」を求め、毎月誘惑されていったのは、核家族のなせる技だったのだろう。でも、このマタニティ雑誌に誘惑されていたのは、妊娠時だけではなかったことに、子育てが始まってから気づいた。

 我が子は女の子で、大泣きもせず、比較的育て易い親孝行タイプの子だったので、とにかく「幸せ」で、これがマンガの世界であったら、私の目もピカピカしていたであろう毎日であった。しかし、もし、「育児ノイローゼにならなかったか?」と聞かれたら、私はまさにこの時がそうだった・・・・と答えたであろう。

 それは、なかなか授乳のリズムがつかなかった1〜2か月頃だ。1時間おきや、30分おきはざらであった。授乳ひとつをとっても色々なやり方がある最近………。病院の助産婦さんの「3時間おきでなければ授乳ではない」と言った、こわ〜い顔。「子どもによって違いますがリズムは大切」と言った、〇〇博士の主義。「うちなんかいい加減だったわよ」という明るい先輩ママ達の声。ありふれた表現だが、まさに走馬灯のように、色々な声が熟睡していない疲れた頭をよぎっていた。お腹は満腹のはずなのにオッパイを探すように口をパクパクさせている我が子を見て、ふと頭に浮かんだ。そうである。まさにあの山積みにしていたマタニティ雑誌の広告に載っていた、乳首型のおしゃぶり(チュッチュとも呼ばれている)である。ペラペラとめくっていただけなのに、ページ全体が頭に浮かぶほど、はっきり思い出していた。

 「子どもの口を乳首型のおしゃぶりで満足させ、授乳は時間を決めてあげれば良い」と………。

 もし、私が今まで他人のお子さんを見ていなければ、すぐにすばらしい宝を発見したとばかりに店先に走って行き、乳首型おしゃぶりを買っていたであろう。「これさえあれば、もう、走馬灯に悩まされなくていい………」と。 数年前に担任した2才になったばかりの子が、このおしゃぶりを口に入れるのが癖になり、いつまでも取れず、心のよりどころとして、あらゆる面で苦労していたのを思い出した。だから私は、この時期をおしゃぶりによって乗り越えず、あやしたり、オッパイをふくませて、走馬灯を払いのけて乗り切った。確かに手はかかったが、過ぎてしまえば、ほんの一時期のことであった。大げさにいえば、私は一つの誘惑に勝ったのだ。

 次なる誘惑は娘が重くなり、授乳時の体勢がうまく定まらない時にやってきた。この時も「どうしよう」と思った瞬間に、思い出していた。それは、妊娠中に見たマタニティ雑誌に載っていた授乳用ひざクッションなるものであった。確かに、ひざにそれをのせれば、一段高くなった状態で授乳でき、腕や肩が楽かもしれない。クッションなどでも代用できるが、これがないとまるで解決できないのではないかと思われてきてしまうほど、広告が目に浮かぶのである。

 母のぬくもりを子どもが快く感じる………っというのは、すぐに目に見えるものではない。だから、目の前の解決策を安易にとってしまうのは、無理もない事であると思う。でもこれも、保育園の子どもたちを見ていると、親と触れ合う時間を大切にしてもらっている子どもとそうでない子どもの、表情の豊かさや、気持ちの安定さは大きくなるにつれて歴然と表れている。授乳のようなほんの些細な時間ではあるが、母のぬくもりをクッションによって邪魔されてはならないと考え直し、これも誘惑をまぬがれた。結局、娘も私も少しずつ工夫と妥協をしながら、お互いのぬくもりを肌に感じつつ、その時期の大きさに合った態勢を作っていった。

 物というのは『使い方』で、上記したマタニティ雑誌も、チュチュのおしゃぶりも、授乳クッションも人によっては「あって本当に良かった」ということもあったはずであり、私も商品その物を否定するわけではない。あくまでも、私の経験から出た考えである。

 私も含め核家族で、子どもを育てている以上、優秀なグラフィックデザイナーの作った広告に誘惑され、育児のやり方や情報の多い今の世の中で、何を選び、取り入れていくのか考えることは、姑さんに皮肉を言われながら育児を伝授してもらうより、大変なことであると思う。でも、たとえお金や物が無駄になったとしても、子どもの発達はし続ける。かけがえのない時期を、商業主義社会の創り出した誘惑によって阻害しては決してならない………と目の前の我が子を見て思っている。

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